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#937 このたびの論戦は無用にして無益なり

それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。

何となれば、彼等は立派なる大論文、さては哲学的著述の中にてすら、曖昧なる語[コトバ]を用ひたればなり、決して評註の緒言などいふ、瑣末なる場合にてのみ用ひたるにあらざればなり。
此時敵将軍、黄金の采配打ちふッて、大音聲にのらすらく、「汝逍遥、汝は敢て形而上論をなさずして、只方便を説けるのみ、といひ、又われは無邊際の大洋を渡る舟筏[シュウバツ]を造るのみ、といへれども、そはまことにいはでもの分疏[イイワケ]と笑はまくのみ、何となれば、古今の哲学の系統は、悉く是れ方便にして、悉く是れ舟筏ならずや。愚かなることをいふものかな。

ここは森鷗外が「早稲田文学の没却理想」で言っていることですね。詳しくは#716を参照してください。

味方の小頭、雅俗折衷之助、此の時陣頭に駒を進めて、鞍壺に居直り、聲高らかに答へていはく、それこそはわが逍遥子が、疑惑してまた疑惑して、未だ断じ得ざる所なりしに、将軍いみじうも教えたまひつるかな。我黨は所謂一哲学系といふものをば、尠くとも、そを奉じたる人の心には、窮極の眞理の宿れる處なり、と確信したるべしと疑ひつゝありけるに、将軍、ハルトマン先生の系統を奉ぜられながら、古今哲学の系統は、悉く是れ方便なるを、と示教せらる。これによりて惟れば、逍遥子が没理想を唱ふるも、些[チト]ばかり故ありげに思はれたり。将軍さへはた、絶対に対しては、方便の地位に立ちたまへればなり。語を換へていへば、ハルトマン先生の哲理のみを、唯一絶対の眞理とは断信せられざるに似たり。有理想が是か、無理想が是か、没理想(不見理想)が今日の有様か、あらざるか、将軍も未だ断じたまはざるに似たり。われは、将軍が古今の哲学を、方便なるべし、舟筏なるべし、とのたまはすを聴くに及びて、此のたびの論戦の、甚だ無用にして、更に無益なるを思はずばあらず。将軍と逍遥子との間には、絶対に対する覚悟に於て、殆ど相違無しと知りそめたればなり。さはいふものから、假に将軍の今の獅子吼を、一時假定の疑案なりとし、将軍はあくまでもハルトマン先生が一元論を奉戴遵守せらるゝなりとせんか、尚此のたびの論戦は果[ハテ]知らぬ無益の軍なるべし。

このたびの論戦は無用にして無益……ついに逍遥から、この言葉が出てきてしまいましたね……

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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