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#1482 ひとつの仕事に、ふたりの番匠

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

頭を下げる十兵衛を制し、上人は「わかりました、殊勝な心がけを持っておられる、わしも思わず涙がこぼれました、五重塔の雛型も見にまいりましょう。しかし、あなたに感服したとて、いますぐに五重塔の仕事をあなたに任せるのは、わしの独断でいうわけにもならぬ。いずれ頼むとも頼まぬとも、わしからではなく感応寺から通知をしましょう。ともかく今日は暇があれば雛型を見たい、案内して連れていってくれぬか」。十兵衛、満面の笑みをうかべ「ああ有難うござりまする、ああ勿体ない、雛型は私が持ってまいりまする」。十兵衛は、かけだして家に帰り、女房に一言もいわず、雛型を持ち出して、感応寺へと持ち込み、置いて帰ります。上人、これをよく見て、細かいところまで丁寧な細工ぶり、これが不器用らしき男の手によるものかと、ひとりひそかに嘆じ、これほどの技量をもちながら空しくうずもれ、名を発せず世を経る者もあることか、と気の毒なる当人の身となって悔しみます。

あはれ如是[カカル]ものに成るべきならば功名[テガラ]を得させて、多年抱ける心願[ココロダノミ]に負[ソム]かざらしめたし、草木[クサキ]とともに朽[クチ]て行く人の身は固[モト]より因縁仮和合[インネンケワゴウ]、よしや惜[オシ]むとも惜みて甲斐なく止[トド]めて止まらねど、仮令[タトエ]ば木匠[コダクミ]の道は小なるにせよ其[ソレ]に一心の誠を委[ユダ]ね生命[イノチ]を懸けて、慾も大概[アラマシ]は忘れ卑劣[キタナ]き念[オモイ]も起さず、唯只[タダタダ]鑿[ノミ]をもつては能く穿[ホ]らんことを思ひ、鉋[カンナ]を持つては好く削らんことを思ふ心の尊さは金にも銀にも比[タグ]へ難きを、僅[ワズカ]に残す便宜[ヨスガ]も無くて徒[イタズ]らに北邙[ホクボウ]の土に没[ウズ]め、冥途[ヨミジ]の苞[ツト]と齎[モタラ]し去らしめんこと思へば憫然[アワレ]至極なり、

天台宗は、南無阿弥陀仏と唱えながら「一心三観」します。「一心三観」とは「心、佛、衆生」が「中・空・仮」であるとし、「南無阿弥陀仏」をとなえるとともに、心と佛と衆生とは一体無二であると観想します。一切の存在には実体がないと観想する「空観」、それらの縁起・因縁が和合して仮和合していると観想する「仮観」、この二つも一つであると観想する「中観」を同時に体得することです。

北邙とは墓地のことです。中国河南省洛陽の北に邙山があり、帝王・名臣の墓があることで有名なことから、この意が生まれました。

良馬主[リョウメシュウ]を得ざるの悲み、高士[コウシ]世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異[カワ]ることなし、よし/\、我図らずも十兵衞が胸に懐[イダ]ける無価の宝珠の微光[ビコウ]を認めしこそ縁なれ、此度[コタビ]の工事を彼に命[イイツ]け、せめては少しの報酬[ムクイ]をば彼が誠実[マコト]の心に得させんと思はれけるが、不図[フト]思ひよりたまへば川越の源太も此[コノ]工事を殊の外に望める上、彼には本堂庫裏[クリ]客殿作らせし因[チナ]みもあり、然も設計予算[ツモリガキ]まで既[ハヤ]做[ナ]し出[イダ]して我[ワガ]眼に入れしも四五日前[ゼン]なり、手腕[ウデ]は彼とて鈍[ニブ]きにあらず、人の信用[ウケ]は遥[ハルカ]に十兵衞に超[コエ]たり。一ツの工事[シゴト]に二人の番匠、此[コレ]にも為[サ]せたし彼にも為せたし、那箇[イズレ]にせんと上人も流石これには迷はれける。

というところで、「その七」が終了します。

さっそく「その八」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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