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#944 主観見えたり、ではなく、理想見えたり!

それでは今日も坪内逍遥の「雅俗折衷之助が軍配」を読んでいきたいと思います。

猶彼の繪畫[カイガ]の傑作に目を喜ばせ、演劇の絶技に心を娯まする刹那に於て、應擧の名と團洲の名とを、いづこにも着すべき餘地なきがごとし。米人エヷレットが詩を論じたる語にいはく「美術はおしなべて儀型[タイプ](極致)を料とす、詩もまた然り。詩は或一個[ヒトリ]の心の私の喜び、愛憐、又は悲みをいひあらはせども、その表白する所は、衆人心の悲喜愛憐ともなりぬべきやうにものするなり。すなはち、その詩人が私の執着は消失し、そが一個の感動は、件の普通的表白[ユニワルサル エキスプレッション]の中に幷吞し去らるゝなり」と。

「應擧」は絵師の丸山応挙(1733-1795)のこと、「團洲」は九代目市川団十郎(1838-1903)のことです。1878(明治11)年、河竹黙阿弥(1816-1893)作の『西南雲晴朝東風[オキゲノクモハラウアサゴチ]』(通称『西南戦争』)が、新富座で初演を迎えます。団十郎は、西郷隆盛をモデルとした西條高盛を演じ、西郷の号「南洲」をもじって「團洲」と呼ばれました。

「米人エヷレット」に関しては、これが誰なのか全くわからなくて、もしかしたら、ハーバード大学学長となったのち、上院議員を務めたエドワード・エヴァレット(1794-1865)のことかもしれません。エヴァレットは政界を引退後の1858年、ジョージ・ワシントンの邸宅「マウントバーノン」を保存するための募金活動に乗り出します。エヴァレットは合計で129回の演説を行い、6万9064ドルを保存活動を行なっていたマウントバーノン婦人協会に寄付します。エヴァレットは『The New York Ledger』に保存キャンペーンの進捗を連載しますが、これらがまとめられて、1860年、『The Mount Vernon papers』として出版されます。もしかしたら、このなかに、上記の文章があるのではないかと思って、調べてみたのですが、見当たらないんですよねぇ~。エヴァレットはハーバード大学学長以前は、ハーバード大学のギリシア文学の教授だったので、上記のようなことを言いそうなんですけど、もしかしたら、エドワード・エヴァレットではなく、アメリカの作家のエドワード・エヴァレット・ヘイル(1822-1909)のほうなのかもしれません。

是れ豈没主観にあらずや。げにやシルレルが作の上に作家の感情の見えたり、とあるは、さることながら、これによりてシルレルが作には、シルレルが主観見えたり、といはんこと、いかヾなるべき。さればわが黨は、ミルトンが作れるドラマにも、バイロンがドラマにも、マアロウが脚本にも、又はブラウニングがドラマにも、理想見えたり、ということを憚らざるものから、彼等が主観の見えたりとは、未だ軽々しく断ずる能はず。蓋し、吾黨がドラマ若しくは叙事詩に就きて、理想の見えたる、と見えざる、とをいふや、毎に其の作の全局面に就きていふが故に、尠くとも、差別想をいちじるしく描かんと力めたる、ドラマの作物を評するに當たりては、主観見えたり、といはんとはせずして、むしろ理想見えたり、といはんとするなり。前の見解によるときは、主観の見えざるは勿論なればなり。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!


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