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#780 没理想論争エピソード0!まずは『小説三派』を読むぞぉ!

ということで、今日から没理想論争前哨戦に突入です!

まずは1890(明治23)年12月7日から15日まで全9回で読売新聞に連載された逍遥の「新作十二番のうち既発四番合評」です。この連載は、のちに「小説三派」と改題されます。

それでは読んでいきましょう!

「新作十二番」とは春陽堂より発兌[ハツダ]せる美本の読切物にていづれも名家苦心の小説也。

「新作十二番」は1890(明治23)年4月からスタートした、作家十二人による新作小説を一冊ずつ出版するシリーズもののことです。春陽堂から出版され、美しい木版画による口絵が施され、饗庭篁村[アエバコウソン](1855-1922)の『勝鬨[カチドキ]』からスタートします。
1.饗庭篁村『勝鬨』明治23年4月
2.尾崎紅葉『此ぬし』明治23年9月
3.山田美妙『教師三昧』明治23年10月 
4.宮崎三昧『かつら姫』明治23年11月
5.南新二『鎌倉武士』明治23年12月
6.須藤南翠『一夜妻[ヒトヨヅマ]』
7.依田学海『十津川』明治24年3月
8.前田香雪『梅ぞの』明治24年9月
9.幸堂得知『浦島次郎蓬莱噺』明治24年12月

12作を出版することは叶わなかったようで、しかも須藤南翠の『一夜妻』だけ確認できなかったんですよねぇ~。他の作品の奥付手前に「近刻」というかたちで宣伝されているのですが、おそらく出版されないまま終わったのではないでしょうか。(このへんの事情に詳しい方がいたら教えていただきたいです!)どうやら、最終的には、8作品までしか出版されなかったようです。ちなみに1878(明治11)年に創業した春陽堂は現在(2022年)も営業中です!

第一番は竹のや主人の「勝鬨」第二番は紅葉山人の「此ぬし」第三番は美妙齋主人の「教師三昧」第四番即ち最近の発行は三昧道人の「桂姫」なり。

「竹のや主人」は饗庭篁村のこと、「紅葉山人」は尾崎紅葉(1868-1903)のこと、「美妙斎主人」は山田美妙(1868-1910)のこと、「三昧道人」とは宮崎三昧(1859-1919)のことです。

いづれあやめ草ひきもわづらはれておのおのおろかなるは無けれど、氏[ウジ]も育[ソダチ]も流石[サスガ]に殊なるこそをかしけれ。先づ「勝鬨」と「桂姫」とは色も香も大同にて小異也。然るに此の二つと「此ぬし」とを比ぶれば心も形も大異にて小同なり。さて又「此ぬし」と「教師三昧」とを比ぶれば色も香も大同にて小異也。然るに「教師三昧」と前にいへる二つとは、心も形も大異にて小同なり。具[ツブサ]にいへば「勝鬨」と「桂姫」とは着想も文章も専ら在来の粋を採れるに、「此ぬし」と「教師三昧」とは新文脈をまじへ用ひて着想も頗る外国ぶりなり。詳きことは次々にいはん、爰[ココ]には便宜のため仮に「勝鬨」と「桂姫」とをもて同類の固有派と名づけ、「此ぬし」と「教師三昧」とを一味の折衷[セッチュウ]派と称す。

逍遥は便宜上、『勝鬨』と『桂姫』を「固有派」と名付け分類し、『此ぬし』と『教師三昧』を「折衷派」と名付け分類します。

所謂固有派とは、物語を作るに事を主として人を客とし、事柄を先にして人物を後にする者也。人間の浮沈栄枯流離転変を語るを主として、傍[カタワ]ら種々の人物を点綴[テンテイ]し、正邪順逆の跡を紙上に躍然たらしむるもの也。此派の物語ははじめより事変を主とすれば、奇異の事をも偶然の事をもさしはさむ。且又[カツマタ]必ずしも主人公を設けず、たまたま主人公を設くるも、事の脈絡を繋がん為也。蓋[ケダ]し大かたの事変は主人公の性行より来たるとせで、偶然に外より来たるとする故に必ずしも主人公を要せぬなり。

「固有派」と名付け分類した性質として、事柄を先とし人物を後にする小説である、と。奇異のことも偶然のことも差し挟む、と。そして、事の脈絡を繋げるために主人公を設け、必ずしも主人公を必要としない、と……

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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