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あなたはM気質? それともS気質? 血液型はO型A型B型AB型? それを議論することに、果たして意味はあるのだろうか。『デタラメだもの』

「ボク、歯医者が好きなんですよ」といったことを言ってのけると、周囲から、あり得ない、考えられない、信じられない、などと距離を置かれてしまうことがよくある。しかし、その実、歯医者はめっぽう好きだ。

治療にはもちろん痛みが伴う。定期検診で歯石を取り除く施術だけでも、ぞんぶんに痛みを伴う。しかし、基本的には、治療によって死ぬことはないと盲信している。別に死ぬわけではないが、めっぽう痛い。そこが歯の治療のミソなわけだ。

痛みの延長上の最果てには、死が待っているとしよう。ところが、歯の治療では死ぬことはないと確約されている。その条件下で、「おいおい、この治療、どこまで痛むんだい!」と、その痛みに耐えることがある種、人間の持つ忍耐力の限界を知る実験のようでいて興味深い。実生活において、自分の限界を知ることができる、限りなく数少ない体験のようでいて愉快だ。

と、そんなことを言ってのけると、「アンタ、M気質だね」とおっしゃる方が大勢いる。そう。人は往々にしてその人がM気質なのかS気質なのかをジャッジメントしたいらしい。

痛みに耐えるのが好きだからM気質という判定になるのかもしれないが、痛みに耐えろと命令しているのもまた自分自身。自身の中に潜むS気質が、M気質に対して耐えろと指示してるのではないだろうか。つまりは、どちらの気質も持ち合わせているということ。

愚直に耐える姿をM気質としたとしても、耐えろと指示する気質はS。両方が混在している。では、S気質の人はというと、「耐えるのが嫌いなんだから耐えなくてもいいよ」と自分自身を甘やかす。ひどく優しい気質だな。到底、S気質とは思えない甘さだな。もはやそれは、S気質でもなんでもないんじゃないの、とすら思えてくる。

ともあれ人間は、M気質だのS気質だのと、白黒ハッキリつけたがる生き物だ。

血液型に関してもそう。こちらが大雑把な性分を覗かせるや否や、「アンタ、O型でしょ?」とくる。その実、O型であることは間違いない。しかし、だからといって何もかもを大雑把にやってのける人間なわけではない。拘る部分には偏執的に拘るし、整理整頓だって大好きだ。

そんな様子を垣間見るや否や人は、「A型寄りのO型だね」と言ったり、「お母さんがA型でしょ。A型のお母さんに育てられた人は、たとえO型であったとしてもA型気質が身についているからね」とくる。まぁ、その実、母親がA型であることは間違いない。

とどのつまり、人間とはいろいろな性質、気質を持ち合わせているということだ。仮にO型の人間であったとしても、A型を想起させる特徴があったり、B型を思わせる一面があったりとさまざま。ある特定の部分をつまみ出せば、何型ともとれる特徴を持っているだろう。

しかし、皆々様方、本人の血液型と、その血液型の特徴とされるものを合致させたいようだ。どうしても白黒ハッキリつけたいとみえる。

こちらが「私、O型なんですの」と答えるや否や、「大雑把な性格してるでしょ?」とくる。「まぁ、そういう部分もありますけれど、ひどく几帳面な性格でもありますね」と返すと、「あぁ、それ、典型的なO型の特徴だわ。特徴が出てるわ!」と得意げな表情。

「O型って生き物はねぇ、基本的には大雑把なんだけど、本人の拘りにおいては偏執的に几帳面になるんだよなぁ」と。「はぁ、なるほど……」。「ちなみに、AB型の人とは合わないでしょ?」とくる。「う~ん、合わない人もいますが、合う人もいるような気が……」。

「それってねぇ、合ってるようでいて、お互いが社交的な態度を取ってるから円滑にいってるだけで、自分を曝け出した途端、お互いに合わなくなるから」と、ドヤ顔。「はぁ、なるほど……」。

人付き合いなど、ある年齢になれば、どこか社交的な態度で挑むものじゃないのだろうか。加えて、相手が何型の人間であろうと、自分を曝け出して人付き合いしてしまうと、合わない人など量産されてしまうのではなかろうか。もはや、血液型の問題ではないような……。

「O型だったら友達多いほうでしょ?」
「いや――少ないほうですね」
「少ないかもしれないけど、その気になればO型の人は、たくさん友達つくれるからね」
「はぁ、なるほど……ちなみに、貴殿は何型なんですの?」
「何型だと思う? 特徴から当ててみて。めっちゃ分かりやすいって言われるんだ。早く当ててみて!」

たいていの場合、謎のクイズに巻き込まれる。仮に正解したとしても、「やっぱり当てられたわぁ! モロに特徴出ちゃってるでしょ?」と、相手にマウンティングされそうだし、不正解だった場合、あからさまに滲み出ているらしいその人の特徴すら掴めない、人を見る目がない人間だと思われてしまいそうで、クイズへの参加を辞退。飲食の場であれば、その席から離れる。もしくは、その店から退散する。そのまま帰宅し、2~3日の間は家に引きこもる。といったことになりかねない。

血液型ごとの特徴を語る人たちの主張をまとめてみると、A型は細かい、O型は適当、B型は自己中心的、AB型は何を考えてるのかわからない、となる。

もはやこれらの主張は、ある種の一般論に近いほど、認知されていると言っても過言ではない。そう主張する人たちにとって人間とは、大きく4つに分類できるということになる。しかし、果たしてそうだろうか。

仕事で関係のある人たちの様子を観察していると、自己中心的な人はかなり多い。ということは、皆さん、B型の人ということになるのだな。あっ、母親が仮にB型の場合、基本的には母が子育てをするもんだから、たとえ本人がA型だとしても、B型の母親の影響を多分に受けるもんだから、自己中心的な性格になる可能性もあるのか云々カンヌン。

じゃあ、本人がA型だったとしても、大雑把な性格だった場合は、O型の母親に育てられている可能性もある。がしかし、仮にO型の母親のその母親がA型だった場合、A型気質に育てられたO型ということになる。そのうえで、A型気質のO型の影響を受けたA型が本人の血液型であるからして、それってじゃあ、何型の特徴を持った人なの?

と、人の性分と血液型をマッチングさせることが、いかに意味をなさないことかが見て取れる。とどのつまり、人は一人ひとり違うもの。個別極まりない。特殊極まりない。グルーピングなどできないということだ。

そんなことを思考しながら歯医者での治療を受けていると、どうやら治療を施したほうがいい歯が2本ばかり見つかったそうだ。症状は酷いわけではないが、将来のことを考えるとケアしておいたほうがいいらしい。

治療か放置かの選択権はこちらに委ねてもらったので、歯医者が好きな自分としては望むところ。「では、治療してください」と申告。喜ばしいことに、継続して歯医者に通えることになった。

しかし、重要なことを忘れてしまっていた。そう。歯の治療の痛みには耐えられるが、治療に伴う出費の痛みに耐えられるほど、気丈な懐は持ち合わせていないということを。

デタラメだもの。


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