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最近の若者は――というセリフを徹底的に分析してみた結果、辿りついたある答えとは。『デタラメだもの』

最近の若者は――というのはよく聞くフレーズで、年齢を重ねた人たちが、自分よりも年の若い人たちに言うセリフ。最近の若者は――。

思い返せば社会人になりたての頃、さんざんっぱら言われた記憶がある。「ワシらの若い頃はもっとしっかりしてたのに」「最近の若者は根性が足りない」「近頃の若い奴は何を考えてるのかサッパリ分からん」とか何とか。

このセリフが持つ意味の解像度を上げてみよう。言わんとしていることは、時代が進むにつれ、若者が弱体化しているということだ。年配の方々は、きっとそういう風なことを指摘したいのだろう。

でも、ちょっと待ってくれ。そんな風なことを言ってのける年配の人たちだって、きっとさらに上の世代の人たちからは、最近の若者は――と言われ続けてきたはずだ。そう考えると、最近の若者は――というセリフは、太古の昔から脈々と受け継がれてきた伝統文化のようなものではないか。

はははん。なるほど。ということはだ、太古の昔から人々は劣化を続け、いつの時代も、最近の若者は――と言われ続け、どんどん弱体化しているということになるな。実に面白い。

ただ、最近の若者という偶像は常に相対的なわけで、最近の若者は――と口うるさく言ってのける年配の人たちも、いつぞは最近の若者だったわけで。そりゃそうよね。マンモスなどを狩っては食って、を生業としていた頃の人間から比べると、そりゃ弱体化してるよね人間。今、目の前にマンモスが現れたとしても、まともに戦えやしない。食われて一発、踏まれて一発。即座に絶命してしまうよね。

最近の若者は――と言いながら説教してくる年配の人たちに対して、あなた方もマンモスとは戦えないでしょうが、と反論したくもなる。が、そんな幼稚な反論をするのではなく、ここはひとつ、クレバーに対抗してみようと思う。

仮に、最近の若者という偶像が年々、弱体化しているとするならば、それを言われ続け劣化を繰り返した若者という偶像は、既にヘナチョコでヘロヘロでペランペランな人間になっているはずだ。しかし実態はどうだろう。それほどまでにペランペランなわけではあるまい。年配の人が憂うほどに、弱体化はしていないということになる。

そこでだ。この問題を解決するために、ある理論を打ち立ててみよう。それは、将棋でいうところの、桂馬。そう。桂馬理論と名付けよう。

将棋というものは、自軍の駒を動かしながら、敵軍の駒を奪って行き、最終的に敵軍の王将を獲ったものが勝つ。シンプルでありながら、果てしなく奥が深いボードゲームの一種だ。

将棋の駒の移動は基本的に、前なら前、横なら横、後ろなら後ろ、斜めなら斜めと、直線移動を主とする。駒の強さによって、直線をどこまでも突っ切れるものもあれば、一歩だけしか歩めないものもある。ところがだ、桂馬という駒だけは実に特殊で、駒の進め方に独特な趣がある。

桂馬がどういう風に進むのかというと、一回の移動に際し、前方にひと駒分、それに加え、右斜めもしくは左斜めにひと駒分の移動が可能なのだ。前後左右斜めの方向に対し、直線移動しか許されていないその他の駒に対し、実にトリッキーな動きを見せるのが桂馬なわけだ。

そこで考えた。最近の若者というものは、桂馬の動きを見せている、と。若者は若者然と、しっかりと進化している。ただしその動き方が桂馬なもんだから、一歩前には進むものの、もう一歩は斜めに進む。そして、ここからが重要。旧世代の人たちにとって、この斜めの移動は、理解ができない。なぜなら、新たに生み出された文化だったり価値観だったりが、そこには伴うからだ。

で、旧世代の人たちは、若者が華麗に見せた斜めへの移動が理解できないことにより、その一歩を"無"として扱う。基本的に人は、自らが理解できないことは存在しないものとして扱ったり、イロモノとして扱ったりするので、結局は評価対象から外されてしまうわけ。その結果、最近の若者は――というセリフにつながってしまう。

ほら。答えが見えてきたじゃないの。年配の人たちが言う、最近の若者は――の正体は、若者たちの弱体化などではなく、年配の人たちの劣化が生んだ末路だったわけだ。はははん。若者はやっぱり桂馬じゃないか。スッキリしたじゃないの。

そんなことを考えながら五月の気候の中、公園で時間を潰しながら缶ビールでも飲みたいなぁと思い、夕日の沈む時間から公園のベンチに鎮座。思考を巡らせたり本を読んだりしながら時を過ごす。すると、すっかり辺りは暗くなってきた。

ふと人の気配を感じ右に目をやると、無人のベンチを挟んだその向こうのベンチに、リクルートスーツを着た若い女性。スマートフォンを弄りながら、時間をやり過ごしているようだ。何もこんなところで物憂げに時間を過ごさなくても、もっと騒がしい場所で憂さを晴らせばいいのに――と無意味な親心を感じていると、そこへ彼氏らしき人物が現れた。

チラッと視線を走らせてみると、毛髪が金色をしたアウトローな男子。はははん。なるほど、待ち合わせをしてらっしゃったのか。と、納得したのも束の間、男女間で少しの会話を交わした後、そちら側から妙な音が発生し始めた。

恐らく彼氏が発しているであろうその音。それは、靴と地面を擦り合わせ、ズリズリズササ、ズリズリズササ。そんな音が耳に飛び込んできた。ん? もしかして、なんかスゲーやばい奴なの? しかし、気を取られてしまっては相手の思う壺。こちらはあくまでも公園のベンチで思慮深く時を過ごしているわけで、そんなものには一切興味はございません。

そんな強がりを押し潰すかのように、ズリズリズササ、ズリズリズササ。彼が靴と地面を擦り合わせるその音は鳴り止まない。そして時折、彼から発せられる「はぁはぁ」という息遣い。そして、三分に一回程度交わされる、ごくごく短い会話。またしても、ズリズリズササ、ズリズリズササ。

しばらく後、彼の口から「水!」という言葉が聞こえた。はぁはぁ。水。ゴクゴク。ズリズリズササ、ズリズリズササ。はぁはぁ。水。ゴクゴク。ズリズリズササ、ズリズリズササ。もしかして、踊っているのか? 夜の公園、ベンチに座る彼女、その目の前でダンスを披露する彼氏。ん? どういう状況?

脳内の思考が彼らの謎で包まれ、読書をしようにも、同じ行を何度も目で追ってしまう始末。あかん。集中でへけん。すると彼の口から「撮れてる?」と聞こえてきた。撮れてるだと? 踊ってる己の姿を、彼女に撮影してもらっているのか?

あまりにも奇妙奇天烈な状況に白旗を上げてしまい、一瞬だけチラッと視線を走らせてみた。すると、ベンチから立ち上がった彼女がスマートフォンを片手に、踊り狂う彼氏を撮影していた。おいおい。真っ暗な公園やぞ。照明もないのに、ちゃんと撮れてるんかいな。せっかく撮るならもっと明るいところで撮ったらええのに。というか、そもそも君たちは何をしとるんだ。理解ができん。ほんと、最近の若者は――。

謎も解け、思考から彼らを排除。スッキリしたところで、しばし読書に戻る。数分後、物音がしなくなったので、改めて向こうのベンチに目をやると、彼らの姿はなくなっていた。そして、無人だったはずの隣のベンチには、おっちゃんが横になり、グーグーといびきをかいていた。ふと自分に目を向けると、缶ビールを片手に、なんともくたびれた様子。なんだか情けなくなってきた。もしかすると、若者たちのほうが、最近のおっさんは――と哀れんでいるのかもしれないなあ。

デタラメだもの。


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