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胃薬と駆け抜けた青春を忘れない

『ちびまる子ちゃん』の山根は胃腸が弱い。刈り上げ高めのツーブロックにも関わらず、だ。

 山根は細身で、面長で、ロンTを着ていて、いかにも胃弱体質のツラをしている。それでいて下の名前は強(つよし)。まったく、人生とは皮肉なものである。

 かくいう私も胃弱だ。ロンTこそ着ないが、身長183cmで細身、面長。胃弱者であるための条件は、ひと通り備えている。
 思えば、幼少期から胃弱だった。牛乳を飲むと毎度のように腹を壊した。冷たいアイスクリームは好きだったが、トイレに行けないと怖いので車の中では食べなかった。胃弱の子供は、周囲の友達と比べて行動に制限がかけられる。給食のメニューになぜ牛乳があるのか理解に苦しんだ。私の前世は牛いじめ(※)の関係者に違いないと思った。


牛いじめは闘犬の一種。18世紀頃イギリスで流行した雄牛と犬を戦わせる見世物。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 そうして腹痛と闘いながら成長した私は、大学生になった。

 大学の場所は渋谷で、私の地元・横浜からは電車で1時間ほど。高校は自転車で通える距離だったので、初めての電車通学だった。

 通学はJRと私鉄を乗り継いだ。まず、JR東海道線に10分乗って横浜駅へ。そこで東急東横線に乗り換え、各停に40分揺られて渋谷へ。なぜ急行ではなく各停なのかと言えば、もちろん突然の腹痛に備えるためである。各停であれば駅間は各5分ほど。たったの5分ならば、長年培った腹痛力で耐えられると思った。ちなみにJRの車両にはトイレが設置されている。その点は心配なかった。ああ、電車通学なんて恐れるに足りないな――。4年間の勝利を確信した。

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 しかし大学生になると、酒を飲むようになった。胃弱者に酒は大敵だ。飲んだ次の日は必ず腹を壊す。ああ、また牛乳的なものが人生に舞い込んで来た。前世の業は根深いと思った。

 酒を飲んだ翌日は、電車の時間が本当に恐ろしかった。わずか5分の駅間にすら耐えられそうにない腹痛が襲ってくるのだ。
 
 その仕組みは地震と同じで、まず初期微動のP波がやって来る。これは言わば胃からの事前連絡で、「今から大きな波、ドカンと行きまっせ~」というお告げである。そして数分後、主要動のS波が到来する。S波が来たらほぼゲームオーバーだ。顔と首は脂汗でぐっしょりと濡れ、目が泳いで挙動不審になる。次の停車駅のトイレ位置を思い出すことだけに集中し、後は神に祈るばかりだ。夏場であれば、クーラーの風がお腹に当たらないよう工夫するぐらいの悪あがきは出来るのだが。

 それでも何とか毎回、最悪の事態だけは避けることが出来た。しかし、毎日まいにち、いつ来るかもわからない腹痛を意識することは大きなストレスだった。ああ、嫌だなあ。何かいい方法はないかなあ…。いつもそんなことを考えていた。JRの車両にあるトイレ内だけが、自然体(オーガニック)な私でいられる場所だった。

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 そんな日常を打破してくれたのは母だった。ある日、家で何の気なしに電車通学の苦悩を打ち明けたところ、「病院行けばいいじゃん」と、簡素な返答をよこしたのだ。私は虚を突かれる思いだった。確かに――。CMなどでも腹痛止め薬を見かけるくらいだから、世の中には専門の薬があるのだろう。むしろなぜ、すぐに気づかなかったのか。親は偉大だと思った。早速近所の内科に向かった。

 症状を告げると医者は、「ああ、じゃあ胃の運動が活発になるお薬出しますね」と言った。こいつは異常者かと思った。まさか前世で私に殺された牛……? なぜ腹痛を訴え出ている患者に、胃の運動が活発になる薬を処方するのだ。理屈がわからなかった。しかし医者は説明をしてくれた。

「これはね、ちゃんと定期的にお通じを促進してくれる薬なんですよ。あなた、毎日のお通じ、時間がバラバラでしょう。だから突然腹痛に襲われるんですね。で、この薬をきちんと朝昼晩飲めば、お通じの時間が毎日決まってきます。そうすれば、電車に乗るのだってもう怖くないですよ」

 そう説明する医者の声はとても優しかった。先ほどの悪口を撤回したかった。政治家のような握手を交わし、病室を後にする。もう腹痛に悩むことはないのか――。少しだけ寂しいような気もした。トイレが設置された車両や、東横線すべての駅のトイレ位置及び時間帯別の混雑具合、そういったビッグデータを、頭の中から消去してもいいのか。正直、ためらいはあった。これまで18年間、胃弱者として生きて来て、得たものだってそれなりにある。矜持を捨てることになるのだ。本当に薬を飲んでもいいのだろうか。葛藤していると、頭の中にある歌詞が飛び込んで来た。

「卒業はプロセスさ 再会の誓い」

 AKB48の『十年桜』だった。そして私は納得した。そうか、これはただの卒業じゃない。プロセスなんだと。腹痛を乗り越えて大人になるプロセスを、私は今歩み始めたのだと。思わず笑みがこぼれた。薬局で処方された薬を片手に、スキップしながら家路に着いた…。

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 そして時は立ち、私は25歳になった。

 大学を卒業し、東京で数年働いた後、京都に移住していた。

 神奈川生まれの私にとって、京都は新しい発見が多く、とても楽しい町だった。住んでいたのは京都市の祇園というエリアで、繁華街にとても近かった。京都で1番栄えている飲み屋街から、徒歩10分で帰れるのだ。そうなると当然、飲みに行かない手はない。

 だから毎日のように立ち飲み屋に通った。飛び交う関西弁が新鮮だった。歯のない友達も沢山できた。会社や学校など以外で、毎日顔を合わせる知人がいて嬉しかった。連日深夜の2~3時まで酒を浴びるように飲んだ。

 そんな生活を半年ほど続けると、体に変になった。常に胃酸が込み上げてくるのだ。布団に横になるのも辛かった。もちろん、18歳の時に出会った胃薬は継続して飲んでいたが、あまりの酒量に効果がないという感じだった。食欲は減退し、朝食も受け付けなくなった。さすがにマズイと思った。

 普通の薬じゃもうダメなのか…。一度、ちゃんと検査してもらおうか。そんな考えが浮かんだ。急いで胃カメラの予約を取る。酒をやめる選択はなかった。せっかく関西に住んでいるのだから、ここでしか出来ない遊びをしたい。それには、立ち飲み屋で酒を飲むというのが1番いい方法だった。

 検査当日、病院に足を踏み入れた。受付で簡単に症状を書き記し、診察室に案内される。診療台に横になると、「口と鼻、どっちにしますか?」と医者が訊いてきた。こいつは異常者かと思った。鼻からカメラなんか入るわけないだろう。まさかこいつも…前世は牛? 7年前の記憶が蘇った。

 医者が2本のチューブを見せてくる。「ほら、こっちが鼻用。こんなに細いんですよ。それに、口から入れるよりも『オエッ』ってなりにくいから。おすすめは鼻用です」と優しく教えてくれた。

 私は迷わず鼻用を選択した。だいたいにおいて、医者とか、区役所の窓口の人が言うことは正しいのだ。素人は黙って言うことを聞いていればいい。7年前の反省を生かした。鼻に麻酔を塗られ、細長いチューブが体の中に入って来る。不思議な感覚だった。初めてイザナギノミコトを受け入れたイザナミノミコトの気分だった。私はその瞬間、胃カメラと合体したのだ。

 診断結果は「逆流性食道炎」だった。医者からは酒を飲むなと言われた。タバコも辞めなさい、コーヒーもダメ、腹筋をつけろ、住民税を滞納するな、親戚の法事に出ろ、靴下は右から履け、ペットボトルのキャップは不燃ゴミとして捨てろ――。麻酔のせいで記憶が曖昧だが、とにかく色々なアドバイスをもらった。私はそれらを遵守して生活を送った。しかし、一向に症状が改善されなかったのだ。

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 一体どうしたものかと思った。胃カメラの医者からもらった薬は、きちんと用法を守って飲んでいる。それなのに胃酸が収まらないのだ。本当に毎日がしんどかった。さすがに改善しないと、生活がままならない。私はインターネットを漁った。怪しいオカルト療法もチェックした。「おばあちゃんの知恵袋」みたいなサイトも訪れた。とにかく私の胃を正常に戻してくれそうな情報を、片っ端から集めた。

 そして私はたどり着いた。キャベツである。どこにでも売っている普通のキャベツが、私の胃を治してくれたのだ。食べ方や味付けは何でもいい。とにかくキャベツを食べまくる。具体的には1日1玉ほど。それだけで「逆流性食道炎」が治った。嘘みたいな話だが、事実である。

 念のため、薬を飲むことを中断した。薬の効果が徐々に現れて来たところで、たまたまキャベツのタイミングが重なっただけかもしれない。その可能性もあった。しかしキャベツさえ食べていれば、胃は健康な状態を保った。毎日が輝きを取り戻した。やった! タバコも吸ってみよう。問題なかった。じゃあコーヒーも? 問題なかった。まさか住民税は…。催促状が来た。とにかく私は健康な胃を取り戻したのだ。生まれて初めての気分だった。

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 現在、胃薬を飲まなくなってから数年が経つ。でも胃は健康だ。なぜならキャベツを食べているから。千切りだったり炒め物だったりスープだったり摂り入れ方は様々だが、私は1日も欠かすことなくキャベツを食べている。心の底から、キャベツに出会えてよかったと思える。もしキャベツがいなかったら、私は今ごろ胃薬のオーバードーズで廃人になっていたかもしれない…。

 だから、ありがとうキャベツ。そしてさようなら、胃薬。また10年後、私が老いてきたら君の出番があるかもしれない。それまで待っていてよね。だって卒業は、プロセスなんだから。永遠の別れじゃない。胃薬と再会の誓いを交わした。胃薬はカシャカシャと音を鳴らして、喜んでいるようだった――。

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