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春の東北湯治⑩【鶴の名湯 温湯共同浴場】

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 400年以上の歴史を持つ温湯 ぬるゆ温泉。鶴が傷を癒していたという開湯伝説から、20年前に共同浴場再建の際に「鶴の名湯」と命名したそうだ。私の滞在していた後藤客舎の部屋からは、入口がすぐ外に見えた。

 この浴場で最も驚いたのは客の数。
一日中途絶えることのないその足。嘗ての客舎跡地だという向かいの駐車場もかなりの広さがあるが、時々満車で溢れ第2Pへ。更に離れに第3Pまで用意されている。

 早朝5時オープンのこの湯。私は4時台にはいつも目が覚めており、リハビリのため周囲を散歩する。一番風呂だと確信し、5時を数分回ったころに浴場に行くと、既に6~7人のお爺さんたちがダイブを決めている。
 洗い場にそのまま布団を敷いたように横になる、通称「トド寝」をしている方もいた。トド寝の発祥は隣町の平川市「古遠部 ふるとおべ温泉」と聞くが、青森の公衆浴場などではたまに見かける光景だ。

 一般的にはマナー違反だが、誰も注意する素振りもなく、むしろ起こさないようにしているようにも見受けられる。旧来の文化として、青森にはこの浴法が根付いているのだろう。
 因みに入浴料は外来は300円(前訪の際は250円だった気がする)、町民は100円で入れる。シャンプーなどの洗い具は全て持ち込みとなる。

 数えることは勿論しなかったが、この街の人全員が来ているのでは?と感じさせるほどの往来。確かに私も町内にこんなに素晴らしい浴場があれば、論を待たず家風呂を使わず源泉に浸かる。

 館内の待合はスパ銭と大差ない造りで、ロビーに大型テレビがあり、椅子に地元民が腰をかけ談笑する姿が。番台近くでは野菜も販売されていて、セルフ式で箱に投金する。


 浴場は大浴槽(熱)と小浴槽(激熱)の二つ。
注がれるのは49度の塩化物泉。多少琥珀色がかかっており、わずかだが硫黄の焦げた香が感じられた。見た目はマイルド系だが、湯は濃厚で身体の内側からドンと効く。

 温湯(ぬるゆ)の名前の由来は、身体のあたたまりが良いから来ている。表層が焼けるような熱さではないが、成分分析表以上のパワーを感じた。10分も入っていると汗がダラダラ流れ、最初はかなりグッタリとしてしまった。

 一日に数回浴場のスタッフのおじさんと顔を合わせるので、そのうち「湯治かい?」と声を掛けられた。今の時期は花見の客ばかりで、連泊の客は珍しいそうだ。

 私はロビーに飾ってある再建前の共同浴場の写真や、大正時代の浴場を模したレプリカを食い入るように見つめる。

私  「昔は地下だったのですか?」
番台 「そうなんだよ、階段を下りると浴室があったの」
私  「埋めてしまったのですか?」
番台 「そう、水害もあったから。昔は自噴だったんだよ。今は動力で揚げてる」

 以前にも記事にしたが、力学的に源泉は自分の力ではGL(グランドレベル)より上には揚がって来ない。人知の及ばぬ天然の源泉が半地下や渓谷沿いに出るのは当然のことだ。懐古主義は良くないが、やはり一度旧浴場に入ってみたかった。

 前回鶴の湯に来たのは5年前。この一帯には、電波不通のランプの宿「青荷温泉」を筆頭に、「落合温泉」「板留温泉」「長寿温泉」など名湯が揃い、弾丸で回った記憶がある。元々は日本全国の温泉を巡りたいという夢があり、今思えば無謀とも言える強行軍だった。

 今でも一興のために湯巡りをすることもあるが、一日多くても立ち寄りは2ヵ所。本旅は鳴子に着いてからは高東旅館のみ、そしてこちら温湯共同浴場しか入っていない。温泉との付き合い方は、病気を患ってから随分と変わった。

 温湯の源泉も2日3日と通っていると湯が馴染んでいき、最初に感じた湯疲れはなくなっていった。暖かくなってきたとは言え、こちら本州最北青森県。夜になると10度を割る。

 湯が効いてきたのか、夜も身体はポカポカしており、痛みも落ち着いている。石油ストーブは一度も点けることなく、温湯温泉での滞在を終えそうだ。

                           令和4年4月27日

こけしがお出迎え 中は撮影禁止
野菜が売られている共同浴場
ショーケースの中なので遠くから
20年前に取り壊された共同浴場 地下にあるのが分かる
大正時代の温湯共同浴場 伽藍のようだ

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