春の東北湯治⑨【客舎で温泉ワーケーション】
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温湯温泉の後藤客舎に到着したのは日曜の夕刻。この日は客は私一人だった。炊事場に行けば誰か顔見知りがいた高東旅館からのギャップに面食らったが、そもそも湯治場はこういうものだ。
こんな時は館主や女将さんを独占できるので、街や宿の歴史、開湯伝説を伺ったりする。温泉好きにとっては存在自体が文化財級のバリューがあり、委細を聞くとネット上に出回っている情報がガセであることに気付かされたりする。
80歳になる女将さん。一人で切り盛りしており、一人称が「オラ」だ。
本場の津軽弁に戸惑いもしたが、色々と話を聞かせてくれた。客舎と同じ造りの裏の建物に住んでいて、いつも花の手入れをしていた。
聞くと客層は若い人も多いらしく、この前日も5人の団体利用者がいたそうだ。月曜からは私以外にも数組来訪があるという。湯治目的というよりも観光、非日常的な空間を一興として捉えているようだ。
差し出がましい話だが、この宿にも思いのほか客がいると聞きちょっと安心した。
一転してシリアスな話も。後藤客舎も跡取りがおらず、女将さんがリタイヤすると廃業の運命を辿るという。客舎はここ温湯温泉の他に、大鰐温泉にひとつしか残っていない。
共同浴場が中心となり形成された街づくり。
周りを商店や客舎が囲む温泉地の光景は、もう見れなくなってしまうのだろうか。不謹慎だが乾坤一擲のみちのく縦断旅を決めてよかったと思った。
タイミングを待っていたら、生涯「客舎」に泊ることは出来なかったかも知れない。
私が案内されたのは、入口から一番奥の部屋だった。
ボロい宿には耐性があるので部屋自体は想定内。隣の部屋との仕切りは襖、大沢温泉湯治屋(岩手)や湯岐温泉山形屋旅館(福島)スタイルだ。どちらも素晴らしい源泉を持つ宿で、私もリピートしている。
だがこれらは隣客との相性次第で宿自体の、もっと言えばその旅自体の印象を決定付けてしまうという脆さがある。
鼾がうるさい客や団体と一緒になってしまったら、リモートワークは疎か快眠すら危うくなるだろう。今回は幸い隣の部屋には客が来ないようだが、ワーケーションに向くかと言えば答えはハッキリNoだ(そもそもそのような想定をしているはずがない)。
部屋は三方襖で囲われており、吊り下げ電気があるものの昼間は真っ暗。障子を全開にし外の光を入れる。ドリフのコントの様に部屋は外から丸見えだ。共同浴場に毎日足を運ぶ地元客からすれば、客舎で私がウェブ会議をしている光景はなかなかエキセントリックだったと思う。
到着した翌日、名古屋からお見えの親子2人組が到着。そして神戸、京都と遠路はるばる訪れる方々が。どうも弘前城(この宿から車で30分ほど)の桜を見に来たらしい。今年はどこも早咲きで、タイミングを読み違え満開を逃したと話す方と何組か会った。一度決めた旅程はそう簡単には変えられないのだろう。
間隔をおいて部屋組がされていたが、それでも襖なので声は通る。
一応お会いした際に「部屋でウェブ会議をします」、とお断りを入れた。昼間ではあるものの、私の声で安穏の時間を邪魔したくはない。それに一人泊でペラペラしゃべっていると気持ち悪がられると懸案した。
お会いした方々は皆さんご親切で、「全然大丈夫ですよ」とダンディな返答。旅に出ている時は心穏やかになるのは誰しも同じだと思う。だからこそ、新幹線のシートではないが、相手に迷惑がかかる可能性がある場合は事前に断りを入れるべきだ。
新規のお客さんは客舎の玄関で「すいませーん」と呼ぶ。
だが女将さんは別棟にいて聞こえないため、私が一時対応をする。他の宿でも何度も経験しているが、湯治宿で丹前を着て女将さんの元へ案内をすると、「旅館の若旦那だと思った」と後に言われることがある。
「ただの湯治客ですよ」
と言いながら、湯治宿に馴染んでいると思われるのは悪い気はしない。
どうせなら、ボロ宿が似合う男、そして浴衣姿が似合う男でいたいと思うのは、温泉好きの性だろう。
令和4年4月26日
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