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山頂でヨガとヴィパッサナー瞑想/最高のひとり時間

5月・6月の山登りの際に山頂で一人、瞑想とヨガをして過ごした。

登頂した時には誰もおらず山頂の空気も、そこから見える全てが自分だけのものだった。

自然とカラダがヨガのポーズをとる。ラジオ体操といった方が相応しいかもしれないが、なんでもいい。
私がヨガだと思えばそこではそれはヨガなのである。

次に、座禅を組んでヴィパッサナー瞑想をする。

こんなにも心もカラダもディスタンスな空間が日常にあるだろうか。500m四方ほどに自分以外だれも居ない。下は500m、横はもっとだ。

パーソナルスペースは人によって違うというが、私は極端に広い。人の気に疲れると、人間の居ないアマゾンの奥地や孤島に行きたいと思うことが何度もあった。アマゾンに潜む動物の気に自分がどう反応するかはわからない。

だからこの時間があまりにも幸せすぎて、本当はヨガや瞑想など必要ないくらいだった。

名残惜しさを感じつつ山をおりる。

急斜面を慎重に歩きながら、「こっちに足を置いた方が良さそうだな。こっちは滑りそうだな」と頭に浮かんだが、それを無視してそのまま足を下ろすとズルっ、ドンッ。

案の定、足を滑らし尻もちをついた。イタタタた・・・石で腰骨を打ち付けたようだが、痛みよりも「思った事は現実化する」がこんなにリアルに具現化された事が面白くて独り言を言いながらスタスタと歩いた。

滑りそうだなと思った「直感」を信頼しなかった(そっちを選択しなかった)ことがキーなのか、滑りそうだなと思った事そのものがキーなのか。滑りそうだなと思いさえしなければ、どちらに足を置こうが滑らなかったのか。

要検証事項に入れておこう。

究極のディスタンスは癖になりそうである。


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