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東京大学2011年国語第1問 『風景のなかの環境哲学』桑子敏雄

 河川環境についての論考だが、題名どおり哲学的な論理構成である。哲学的なので、概念の定義は厳格なのだが、やや複雑に絡み合っているため、注意深く、順序正しくほぐしていく必要がある。
 截然と割り切れない存在であり概念である河川に関する記述を緻密に読み取り、明確に解答に反映する必要がある。
 なお、問題は割愛するが、漢字書き取り問題は、この年まで2002年に限り5つ出題されていたのが、4つだけだった。

問題文はこちら

(一)「身体的移動のなかでの風景体験」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
 第1段落には「人間は、本質的に身体的存在である」とある。これは、人間は固有の身体を持つことを本質とするという意味と考えられる。
 第2段落には、河川の体験には大きく、「流れる水と水のさまざまな様態の体験」と傍線部アの「身体的移動のなかでの風景体験」の二つの意味があると述べられている。傍線部に関し、河川整備においては、「そこを移動する身体に出現する風景の多様な経験を可能にするような整備が必要」だとしているので、傍線部は「川沿いを移動する身体に出現する風景の多様な経験」のことだということになる。
 また、第3段落には「河川の整備が同時に、河川に沿う道の整備でもある」とあり、「ひとは歩道を歩きながら、川を体験し、また川の背景となっている都市の風景を体験し、そしてまた、そこを歩く自己の体験を意識する」とある。そして、この表情、つまり風景の意味は、「ひとそれぞれによって異なっている」ともされている。
 以上のことをまとめると、「固有の身体を持つことを本質とする人間が川に沿って歩きながら、身体に現れる空間の表情を、人それぞれに異なるものとして意識するということ。」(67字)という解答例ができる。

(二)「本来身体空間であるべきものが概念空間によって置換されている事態」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
 第4段落には「体験の多様性の可能性が空間の豊かさである」とある。これは、第1段落に「そこを移動する身体に出現する風景の多様な経験を可能にするような整備が必要」とあったとおり、また設問(一)の解答のとおり、多様な空間の表情が身体に出現する可能性ということである。
 しかし、続く第5段落には、「豊かさの内容が固定化された概念によって捉えられると、その概念によって空間の再編が行われる」とある。その例として、「たとえば『親水護岸』」として整備された空間は「『水辺に下りる』『水辺を歩く』というコンセプトを実現する空間にすぎない」ため、「それ以外のことをする可能性は排除されてしまう」とある。このことが、「この排除は川という本来自然のものが概念という人工のものによって置換されるということを意味している」と表現されているのである。
 傍線部イは、これらを要約したものなので、「多様な空間の表情が身体に出現するはずの空間が、人工の固定概念に基づいて整備されると、その概念以外の体験の可能性が排除されるということ。」(67字)という解答例ができる。

(三)「それは庭園に類似している」(傍線部ウ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ
 傍線部ウに続いて、「樹木の植栽は、庭の完成ではなく、育成の起点だからである」とある。普通であれば、直後に「だからである」で終わる文があれば、それが理由となりそうだが、もちろん、これだけでは十分ではない。
 第9段落には「竣工の時点が河川空間の完成時ではない。むしろ河川工事の竣工は、河川の空間が育つ起点となる」とあり、第10段落にも、河川空間について「自然の力と人間の手助けによって川に個性が生まれる」「時間をかけて育てた空間だけが、その川の川らしさ、つまり、個性をもつことができる」とある。
 傍線部ウの隠れた主語である「河川空間」を主語にして解答案を作成すると、「庭園における樹木の植栽が完成ではなく育成の起点であるのと同様、河川空間も整備の竣工後に自然と人間の力により時間をかけて個性を育むから。」(67字)となる。

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