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東京大学2004年国語第1問 『柳宗悦 手としての人間』伊藤徹

 問題文は抽象的な内容を含み、難解である。なによりも、現代の個は没落するしかないという結論は、悲観的で救いがないため、本当にこの理解でいいのだろうかといぶかしくならざるをえない。「手としての人間」というタイトルはなんとなく希望を感じさせるものだけに、そのギャップもまた悩ましさを増す要素となっている。

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(一)「『地球という同一の生命維持システム』を行為規範の基盤として考える」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。
 傍線部アの位置する第1段落では、環境問題を例に個の没落を論じている。「地球という同一の生命維持システム」とはまさに地球の生態系のことである。(2000年第1問で扱われた事項にほかならない)
 環境問題における判断の基準として、「個人の欲望の制限を受け入れる」ために、「後の世代とのなんらかの共同性を、判断の新たな足場として構築」すること、そしてこれに加え、「人間以外の生物」、さらに「山や川などにさえ、尊重される価値を見出そうとする傾向」は自然なものだとしている。
 後の世代との共同性を判断の新たな足場として構築するとは「未だ生まれぬ世代の権利」を優先することである。このことと、個人の欲望を優先することまでは「人間中心主義」である。
 これに対し、山や川などに価値を見出すとは、「人間中心主義を排除」することであり、「個人はもちろん、時間的広がりを含み込んだ人類」さえも超えることであり、言いかえれば、地球の生態系を価値規範とすることである。
 以上をまとめると、「環境問題について判断する際、現在の個人の欲望と将来世代の権利を優先する人間中心主義を超え、地球の生態系を価値規範とするということ。」(65字)

(二)「欲望の多様化は、奇妙なことに画一化と矛盾せず進行している」(傍線部イ)とあるが、なぜそのようにいえるのか、説明せよ。
 
傍線部イの「欲望の多様化」とは、人々が「平均性を嫌い個性的であろうとする意志」が示される結果、欲望が「大量かつ多様に吐き出され、それに応じて実にさまざまなものが生み出される」ことである。
 しかし、その「個性」とは、「大量のパターンのヴェールに隠された画一的なもの」であり、「私たちとはちがうどこか他所で作られ」たものであるにもかかわらず、「あたかも私たち自身の内から生じたかのように、私たちを駆り立てていく」。つまり、人間は個性的であることを主体的に志向、欲望しているようにみえて、実は「駆り立て」られているのだ。
 そして、そのような欲望の「産地」「源泉」は、デザイナーなどではなく、「相互に絡み合って生成消滅している情報」なのである。
 以上をまとめると、「多様な欲望は各人が個性を求める結果生まれるが、それは自身の内から生じたものではなく、情報処理によって類型化された画一的なものだから。」(66字)という解答例ができる。

(三)「個そのものが集団のなかで作られていく作りものにすぎない」(傍線部ウ)とあるが、なぜそのようにいえるのか、説明せよ。
 まず注意しなければならないのは、傍線部ウは「それ(個)が解体してしまう」ことの根拠となっているということである。つまり、本設問は、根拠の根拠を問うているということだ。
 東大は何年かに一度、このような「理由・根拠(1)を示す命題の理由・根拠(2)」を述べさせる問題を出す傾向がある。うっかりすると、(1)の結論を書いてしまったり、(1)と実質的に同じことを書いてしまったりしかねない。つまり、東大は、それらを混同しないだけの緻密な論理力があるかどうかを厳しく審査しているのだと考えられる。
 傍線部は、その直後の「個のそうしたフィクショナルな存在性格」と同義である。個がフィクショナルな存在である実例は、第2段落に、個性の画一化と責任概念の曖昧化として示され、総括として、自己が組織化される傾向が促進されるとしている。そして、そのすべてを進めている主体は情報である。
 以上から、「情報によって、個性が画一化し、責任概念が曖昧化し、ますます自己が組織化されていく現代、個はもはや実体のある存在といえないから。」(63字)という解答例ができる。

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