野尻茂樹

伝統医学(鍼灸中心)を学ぶ中で、従来見落とされていたのではないかと考えている視点に気づき、少しづつ残しておこうと思います。浅学のためツッコミどころは多々と予想。

野尻茂樹

伝統医学(鍼灸中心)を学ぶ中で、従来見落とされていたのではないかと考えている視点に気づき、少しづつ残しておこうと思います。浅学のためツッコミどころは多々と予想。

    最近の記事

    陰陽論19精神の発生13

    本神篇の続きです。 心は憶するところあり、之を「意」と謂う、意の存するところ、之を「志」と謂う,志に因りて存変する、之を「思」と謂う。思に因りて遠く慕う,之を「慮」と謂う、慮に因りて物に処する、之を「智」と謂う、故に智は生を養うなり。 知っている漢字ばかりでありながら、今の意味とは違ってたりするために、ちょっとわかりにくいですね。ざっくり言うと、人の思考は「意志」が先にあり、その後に過去の記憶への蓄積があるということになります。 一つずつ見ていきます。 「憶する」は記

      • 陰陽論18精神の発生12

        本神篇はまだ続くのですが、陰陽論からの分を一旦ここで補足しつつまとめながら、天人地と身体の関係に一定の結論をつけてみたいと思います。 陰陽論は古代の人が、知性を働かせるために編み出した基本的な考え方であり、同時にその知性自体を説明するものとして成り立っています。日本語の「わかる」が「分ける」と語源が同じことと、似通っています。巷の「東洋医学入門」的な説明では 陽=動的、熱性、拡大傾向 、夜、男性 陰=静的、冷性、収斂傾向、昼、女性 みたいな説明を見かけます。間違いではあ

        • 陰陽論17精神の発生11

          繰り返し当たり前の話になりますが、心(意識)はモノではありません。しかし身体というモノがなければ、発生もしません。「運動」というものが、運動するモノ無くして、運動そのものだけで存在していないのと同じです。といって意識を物質の微細な運動の連続としてしまえば、「心(意識)が何か?」について何かわかった気になるかというと、「だからどう?」にしかならないでしょう。運動していない「モノ」は取り出せそうだし、想像しやすい。「運動」は取り出せないし、モノ無くしての運動はありえない、だからモ

          • 陰陽論16精神の発生10

            意の文字は、心の音から出来ていると述べました。意識に現れるのは、音だけでなく映像があります。触覚もあります。欠損した箇所が痛む幻肢痛は、脳の中て起きているトラブルとされます。 ここで魂縛と心の問題を考えるために、AI(人工知能)に触れておきます。 人工知能も眼や耳、鼻、触覚に当たる機能を備えたものがあります。しかし、今の段階では人間とは決定的に違う点があります。それは「自身の身体」としての感覚ではないことです。最も重要で、なお例としてわかりやすいので、痛覚(痛みの感覚)を

            陰陽論15精神の発生9

            「物に任(た)うる所以(ゆえん)のもの,之を心という。」 モノ(外の世界)と接していることで、心が生まれる→ということは、眠っている時は心の働きは弱くなっている、というか休んでいる状態になります。物心つく前とと同じではありませんが、それに近い状態です。ルドルフ・シュタイナーは動物の精神状態を、人の夢の中と似たものと言っています。ただ、人の場合は夢の中でも言葉を使ったり、一応論理的に考えているシーンが出てきますから、(前回述べたように)成長にともなう魂の働きがあることになりま

            陰陽論14精神の発生8

            心が意識だというところまで来ましたので、また魂に少し戻ります。 意識が生まれる前の状態に魂が置かれていることになります。物心がつく前の状態は魂が育まれていますから、「三つ子の魂百まで」と言われるのもわかります。しかし、だからといって魂はその後から不変なのではありません。魂は常に働いています。心に浮かぶことは、その前に魂で作られたものだからです。今でいう無意識の領域は魂の活動範囲となります。 少なくとも生きている間に、魂は様々な影響を受けながら、変容もしています。だからこそ

            陰陽論13精神の発生7

            前回の話をうけて「植物にも魂があるんじゃないの?」という異議を持った方も多いでしょう。私自身、草木に魂のようなものを感じることがあります。いや、それどころか石のような無機物、古い機関車とか人工物からも「魂のようなもの」を感じてしまう人間です。 これが魂か「のようなもの」なのかは、魂というものの定義の問題ですから、いろんな考え方があるのは当然です。ただ中国古典医学だと、少なくとも動物に限定しなければ筋が通らなくなります。続きの文をもってそれを考えていきます。 所以任物者謂之

            陰陽論12精神の発生6

            魂魄について、少し続きます。これを理解することは、伝統医学による臨床上でも、かなり重要な意義を持つと私は考えています。 生きている人間の魂がどこにあるかは、五蔵の肝にあると、この巻でも他の巻でも記されています。肝が担当しているというようなことです。ただし、今の医学でいう肝臓とは全く違います。その辺のことは、他の説明でも何度もしなければならなくなるでしょうが、とにかく「名前が同じで全然違うもの」くらいに考えた方が良いです。なお、伝統医学では臓ではなく、蔵の字を使うことが多いで

            陰陽論11 精神の発生5

            「たましい」を漢字で書いてくださいと言われれば、たいがい「魂」の字を書かれるでしょう。ただ、「たましい」にはもう一つ字があります。それが「魄(はく)」です。 並精而出入者謂之魄。所以任物者謂之心。 「精に並びて出入りするもの、之を魄という。物に任(た)うる所以(ゆえん)のもの,之を心という。」 精に並んでとあります。精から生まれたとは書いていません。並んでというのは、米が精(白米の部分)と粕に分けられるように、別の物ながら仲良くくっついている様が思い浮かびます。 魂が

            陰陽論10精神の発生4

            随神往来者謂之魂。 「神に随(したが)い往来する者、之を魂と謂う。」 いきなり「魂」の登場です。困ったことに、何から生まれたとはありませんが、書いてない以上、精から生まれたとするのが順当でしょう。今でも「精魂込めて」という言葉があります。それが「往来する」という。じゃあどことどこの間なのか?また書いてない(笑) 「魂」の字の偏は云で、雲の原字であり、空の雲や湯気の形象であるといいます。ちょっと「気(氣)」に似ているけど、気が全方向なのに対し、上向きのイメージがあります。

            陰陽論9 精神の発生3

            精と神の話です。タイトルの精神は、現代の言葉でいう精神であり、ここでの説明は古典や中医学にある精と神です。ややこしくてすみませんが、違う意味であることご承知ください。 故生之来謂之精両精相搏謂之神。随神往来者謂之魂。並精而出入者謂之魄。所以任物者謂之心。 精という文字は米偏と青からできています。同じ米偏に白で、粕という文字もありますね。内側が精で外側が粕ですが、それぞれ青くも白くもありません。むしろ精米した方が白いというのは奇妙です。なぜこうなるのでしょうか?「青」の前に

            陰陽論8精神の発生2

            前回の続きの前に,今の段階で生じる疑問点について補足します。 多分これから何度も言うことになりますが、今回にかかわらず、どんな疑問もホントのところわかりません。「こう考えれば、全体像がより矛盾なく把握できるだろう」という思考のもとに、構成した私見です。本noteは一貫して、その考えで記しています。純粋な古文読解としては、0点をつけられて当然で、ご都合主義と言われても甘んじて受けます。当時にも色んな学派がいたわけで、私は今その世界にトリップしながら、一員になったつもりで書いて

            陰陽論7 精神の発生

            紹介する原文は明朝時代に発刊されたものをテキストにしています。注意していただきたいこととして、以下にあげます。(古典引用の折り、毎回記しますことご容赦ください。) 1,黄帝内経(素問・霊枢)は、一人の著作ではなく、当代にいたいくつかの学派の書いた巻が載せられていて、必ずしも統一された見解に依っているわけではない。 2,原文自体が成立した時と同じものかどうかもわからない。(巻によって最近になって書き写しの間違いが指摘されている箇所がある) 3,文の切り方も写本によって違っ

            陰陽論6

            重要なことをお断りしておきますと、天地にしても身体にしても、人の意思による操作の可能性と陰陽に関する記述は、古典に私の知ってる限りありません。現代でも誰か言ってるかもしれませんが、私は浅学のため確認ができておらず、既出であったり、もはや常識なのであれば教えていただきたく思います。 なので全て妄想と片付けられても当然の状態であると認識しています。その上で話の続きをお楽しみください。(楽しめるんだろうか?) 黄帝内経にある体幹と四肢の陰陽の関係をざっくりまとめると、こうなりま

            陰陽論5

            肝臓よりも筋肉が陽であるというところで、前回終わってました。 肝臓も筋肉も、生体の一部でありモノでもあるのですが、筋肉はしょっちゅう長さを変えて、力を出したり休んだりしています。肝臓の目に見えない働きは偉大ですが、動きまわりはしないので、陰陽に分けると筋肉よりも陰だとなります。 内臓は全て、筋骨、皮膚よりも陰性のものとなりますが、内臓の中でも陰陽の順位が自ずと生じます。外界と大気を交換しながら常に収縮拡張を繰り返す肺は肝臓よりも、陽の位置に座るわけです。 古典の医学にあ

            陰陽論4

             ながらくサボってしまいました。 前回で「世界は 「 モノ 」と「変化する力」で出来ていることになります。」と書いてました。大きな世界の中では、ようするに陰というのはモノの方をあらわし、陽は「変化する力」をあらわしていることになります。モノは大地にあり、「変化する力」は天の支配下にあることになります。 ここで、地動説をもって、反論したくなる人もいるかもしれません。しかし、古代の人にとって、いや私にとっても、そこにあまり意味はありません。地球が動いていることは、大地というモ