陰陽論11 精神の発生5

「たましい」を漢字で書いてくださいと言われれば、たいがい「魂」の字を書かれるでしょう。ただ、「たましい」にはもう一つ字があります。それが「魄(はく)」です。


並精而出入者謂之魄。所以任物者謂之心。


「精に並びて出入りするもの、之を魄という。物に任(た)うる所以(ゆえん)のもの,之を心という。」


精に並んでとあります。精から生まれたとは書いていません。並んでというのは、米が精(白米の部分)と粕に分けられるように、別の物ながら仲良くくっついている様が思い浮かびます。


魂が個人の感情など、現代でいう精神の中心になっているのに対し、魄は物質的な部分を担っています。「陰陽論9精神の発生3」https://note.com/toehatae78/n/n37a56f8e2082

で、白は色だけでなく、外側を取り囲むものの意味があると述べました。それが、ここでも関連します。


外側から囲む力は、散らばったものを繫げる力であると言えます。それがなければ、どんどん散って離れていく一方です。物質というのは、それが何らかの物として存在しているのは、ひとかたまりになっているからです。大地や空気もそうであると言えます。星も人間もバラバラにならないでいるのは、色んな力が働いているわけです。分子間の引力とか、当時にはわかるわけもありませんが、理屈でそういった力を想定することはできました。モノがあるということは、くっつきあっていることと、境界があることになります。魂だけならどこまでも離散するのを、魄と一緒になることで、一個体としてひとかたまりで境界を持って存立していることになります。(わざわざ「かたまり」と平仮名で書きましたが、塊という字にも鬼が付いていますね。これは、関係があるのか無いのか、よくわかりません(笑)





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