意識の構造2

一旦、伝統医学から離れて、誰もが理解可能な言葉で、通常時の意識と夢の状態を比較していきたいと思います。

○反応と記憶

日中の私たちは、自らの欲求や目的を果たすために、外側の刺激に適宜応じながら活動しています。そのためには記憶の機能が必要になります。覚醒中では外側からの刺激に随時知覚が働いていますが、この知覚自体が過去からの記憶とともに成り立っています。サイレンの音に救急車が近づいてくるのがわかったり、漂う香りにバラの存在に気付いたりするケースだけではありません。視覚においても記憶無しで、目に入った景色を認識することはできないのです。生まれたばかりでは、光と色の洪水にショックを受けているかのようです。実際、三歳くらいまでに視て触ったり、その場所で動いたりする経験がなく、大人になって初めて視力を得た場合、色光の洪水から景色を取り出すのは難しいことがわかっています。知覚も思考も記憶を材料にしているわけです。

昆虫なども、刺激に応じて活動しますし、広義での記憶作用みたいなものもありますが、それはプログラムの反応が更新されるのに近いもので、過去の記憶を回想しながらってなことはないですね。人間は、外側からの刺激に対して反応しつつ、過去の記憶を想起して知性を働かせることが可能です。とはいえ昆虫みたいな反応で生きている時間も結構あって、そっちの方が長いこともあるかもしれません。

○夢の中での意識と自我

一方夢の中ではどうか?外側の刺激に対応するわけではない睡眠中ですから、ほとんどが記憶情報によって生じる活動ということになります。ではその時には意識が動いてないのでしょうか?動いてないとなると、ちょっとおかしなことになります。

夢を見てるときも自己への認識は続いています。内容に支離滅裂があったり、妙に俯瞰的立場になっていたりすることはあるにしても、「これは自分が経験している」自覚は、そうそう揺るぎません。

加えてもう一つ大事なことがあります。私たちは「覚えている夢」のみを夢と呼んでいることです。「夢を見た」事実は、それ自体を覚えている時=目が覚める直前=にしか成立しません。意識から遠く離れたものとは言えないわけです。これついては再度取り上げなければいけなくなると思います。

○現実と非現実

夢を見ていない昼間の話にまた移ります。私たちの行動は、自分が意識される前から準備されていることは前に述べました。覚醒時に「意識が生まれる」状態です。この時、無意識の選択は何らかの欲求に合致することが優先されます。未来へ向かうための必要なことを考えるべく、知性は無意識下でも活動していて、意識はそれを確認したり翻訳したりしているように思えます。(右脳から生まれたものを左脳が解釈しているという言い方をしている人もいます)自我も知性も夢の中で働いてはいます。ただし「現実に起きている事態」に対してではないことが、違いとなります。

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