陰陽論10精神の発生4

随神往来者謂之魂。


「神に随(したが)い往来する者、之を魂と謂う。」



いきなり「魂」の登場です。困ったことに、何から生まれたとはありませんが、書いてない以上、精から生まれたとするのが順当でしょう。今でも「精魂込めて」という言葉があります。それが「往来する」という。じゃあどことどこの間なのか?また書いてない(笑)


「魂」の字の偏は云で、雲の原字であり、空の雲や湯気の形象であるといいます。ちょっと「気(氣)」に似ているけど、気が全方向なのに対し、上向きのイメージがあります。でも、下にも行くことができます。温度が下がると、水になるべく下がっていきます。往来が上下するのであれば、天地の間となります。最初に出てきた徳と気の間です。


「鬼」の字は、日本では角の生えた虎のパンツの方たちになってしまいますが、本来そんな意味はまったくありません。幽霊みたいな意味を持っています。幽霊は死んだ人の肉体という物質から離れたナニモノですから、生きている時には、肉体に繋がっていたナニモノかということになります。


「神」にしたがって、徳と気の間を往来するナニモノが「魂」ですよ、ということです。


古代の中国思想の影響を受けた日本の神道でも、和霊(にぎたま)や荒魂(あらたま)という概念があります。精や神にはなかった感情のようなものが、ここに来て初めて発生しているわけです。シュタイナー思想でいうアストラル体も似たもので、鉱物、植物にはなく動物において存在するもので、感情体、情緒体、感覚体などと訳されます。黄帝内経にはわざわざ書いていませんが、精、神はすべての生物に、魂は動物にあると考えて差し支えはないと考えます。「魂」は個体にある精や神の存続の為に、能動的な働きをする力になっていると考えられるのではないでしょうか。「随(したが)いて」には、そんな意味が込められているようにも読めます。












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