甘噛社(あまがみじゃ)

記憶は当てにならないので、個人的に思ったことのメモとして記録します。 アイコンは愛猫を…

甘噛社(あまがみじゃ)

記憶は当てにならないので、個人的に思ったことのメモとして記録します。 アイコンは愛猫を模したAI画像です。

マガジン

記事一覧

どんなにオシャレをしていても

 人は見た目が大切だと言われる。確かにその通りだ。何だかんだ言って見た目が一番分かり易い。でも、それは内面が伴ってこそ生きてくるもの。見た目が極上でも人間として…

不満の矛先を向ける先

 政治屋の一掃を掲げて選挙に打って出た人がいた。  政治屋の定義は何ですか、政治屋とあなたの違いは何ですかというインタビューが一時世間を賑わしたあの人だ。  きっ…

せっかくの休日には腰を落ち着けて考えてみたい

 一部分を切り取って都合の良く編集し、受け取り手をミスリードするのはマスコミの得意な手法だった。話の前後を削除すると、人の話は如何様にも解釈できるものに出来る。…

生きるチカラはどこに

 乳幼児が母親に殴り殺され、その母親が逮捕されたというニュースを聞くたびに胸が痛くなる。これからという生命が、何の理由も無く絶たれるだけでなく、絶望と理不尽な痛…

時代差に溺れない

 年を取るに連れて1年の長さは年々短く感じられるようになり、20年前という時間の長さはそれほど昔のことのようには思えなくなる。若者にとっては驚異的で非現実的でしか…

ゲームシステム

 ゲームに慣れ親しんだ今の子供達は、ゲームシステムを把握するスピードと、順応速度が速くなっているという。  ゲームには様々な種類があるが、どのゲームにも必ずある…

アンチエイジング

 男の人が自分のことをオッサンと呼ぶのは良く聞くが、女の人が自らをオバサンと言うのはあまり耳にしない印象だ。見るからにオバサン然とした人が自分のことをオバサンと…

ルールと権利意識は人それぞれ

 人はそれぞれ自分なりのルールに従って生きている。  駅のホームで次の電車待ちの列に並ぶ時、時間的な順番を守るというルールの人と、駅のアナウンスのルールを守る人…

法律とモラル

 法律を守ってさえいれば何をしても良いということではない。法律に反していないことであれば何をしても許されるということでもない。法律はその社会で最低限守るべき事を…

映画『怪物の木こり』

 サスペンス・ホラーとでも呼ぶべきジャンルだろうか。  時代を隔てたふたつの猟奇的な連続殺人事件が物語の中心にある。追う刑事たちと追われる犯人という構図は当然だ…

デジタル時代のコミュニケーション

 スマホ使用によって前頭前野の活動が低下し、ネットで提供される情報はあなた向けに選別済みの極めて狭い情報が集まる。視野が狭くなることばかりだ。  仕事や日常生活…

人類の未来のために

 人間は、その頭脳による思考力によって他の生物とは違った存在になり得ている。脳の発達が導いた発展は地球を覆うまでになった。  しかし、知性や理性や思考は様々なも…

視野が狭くならないために

 何かを見聞きし、それを理解しようとする時、人は自分の持っている枠組みの中でしか捉えられない。そうした枠組みは、その人がそれまでに見聞きし経験したこと(知識と経…

暑い暑い…

 暑い暑いと言ったところで、暑いのは無くならない。それなのについ、人の顔を見れば暑いですね〜なんて言ってしまうのは、絶対に同意が得られるからだろう。共感を確認し…

接客のスタンダード

 とあるコンビニでの接客の取り組みがテレビ番組で取り上げられていた。接客の上手な店員にかかると、勧められたキャンペーン商品など、つい余計な買い物をしてしまうとい…

映画『ジェミニマン』

 ヘンリーは知る限り世界一のスナイパーだ。そんな腕利きの狙撃手が引退を考え始めた時、かつての戦友ジャックに衝撃の事実を告げられる。最近狙撃した標的が悪事を働いた…

どんなにオシャレをしていても

 人は見た目が大切だと言われる。確かにその通りだ。何だかんだ言って見た目が一番分かり易い。でも、それは内面が伴ってこそ生きてくるもの。見た目が極上でも人間としてクズだとしたら、ホント勿体ない。  清潔感を心掛けることは出来たとしても、元々持ち合わせている容姿は変えようもなく、見た目だけで勝負出来る人はなかなかいないものだ。内面が滲み出るほど良い人であれば見た目を上回ることが出来なくはないが、そんなにも内面が優れている人もこれまた少ない。普通の人はどこまで行っても普通なのだ。例

不満の矛先を向ける先

 政治屋の一掃を掲げて選挙に打って出た人がいた。  政治屋の定義は何ですか、政治屋とあなたの違いは何ですかというインタビューが一時世間を賑わしたあの人だ。  きっと本人は、これまでの政治とは違うものが求められているということを訴えるために政治屋という言葉を用いたのだろうと私は理解していたが、そうした意図は今の国民には伝わらないとインタビュアーは考えたのだろう。もっと丁寧に寄り添った説明をしないと殆どの人には理解出来ないと思ったのだろう。もしそうだとしたら、あのインタビューでバ

せっかくの休日には腰を落ち着けて考えてみたい

 一部分を切り取って都合の良く編集し、受け取り手をミスリードするのはマスコミの得意な手法だった。話の前後を削除すると、人の話は如何様にも解釈できるものに出来る。どんな話にも文脈があるし、言葉の意味は文脈によって決まるから前後関係こそが大切なのだが、これを意図して省くことで受け手は足りない部分を想像して埋めることになる。プレゼンの際に前後にどんな話を持って来るかによって、切り取られた発言の意味を変えることが出来るのだ。  こんなことはみんな百も承知なのだが、まんまと騙されてしま

生きるチカラはどこに

 乳幼児が母親に殴り殺され、その母親が逮捕されたというニュースを聞くたびに胸が痛くなる。これからという生命が、何の理由も無く絶たれるだけでなく、絶望と理不尽な痛みの中で亡くなったであろう。  それと同時に、私は逮捕された母親の苦しみにも同情してしまう。虐待や殺人という犯罪を犯したことを擁護するつもりは全く無い。犯罪行為とは分けて考えるべきこととして、追い詰められていたであろう母親を救うことが出来ていれば、子供の不幸は回避できたのかもしれないと思うのだ。  同様の事件でも背

時代差に溺れない

 年を取るに連れて1年の長さは年々短く感じられるようになり、20年前という時間の長さはそれほど昔のことのようには思えなくなる。若者にとっては驚異的で非現実的でしかないこのタイムスケールは、しかし誰にでもやって来る普遍的な現象だ。  遠い過去のことが昨日のこととさして変わらずに感じられるようになると、つい昔語りになる。きっと若い人が聞けば、また昔話が始まった、と呆れられるのだろうと思い込んでいたのだが、よくよく話してみると実はそんなことはない気がしてきている。  多くの先輩諸

ゲームシステム

 ゲームに慣れ親しんだ今の子供達は、ゲームシステムを把握するスピードと、順応速度が速くなっているという。  ゲームには様々な種類があるが、どのゲームにも必ずあるのがルールを含めたゲームのシステムだ。例えば、ゲーム内のキャラクターを操作してマップ内を進み、出会った敵と戦って勝ち進むというのもゲームシステムの一つだし、落ちて来るブロックを回転させて最下段の隙間に入るように操作し、横一列がブロックで埋まるとその列が消え、列を消せずに上までブロックが埋まってしまったらゲームオーバーと

アンチエイジング

 男の人が自分のことをオッサンと呼ぶのは良く聞くが、女の人が自らをオバサンと言うのはあまり耳にしない印象だ。見るからにオバサン然とした人が自分のことをオバサンと連呼したとしたら周囲は反応に困るし、年齢に不相応なくらいの美貌の持ち主が自分をオバサン呼ばわりしていたら嫌味にしか聞こえずこれまた反応に困る。  だから、オバサンをオバサンと呼んで良いのは小さな子供に限る。いや、それでは親の教育どうなってるんだ問題が勃発してしまうので、オバサンという言葉はいっそ死語にした方が良いだろう

ルールと権利意識は人それぞれ

 人はそれぞれ自分なりのルールに従って生きている。  駅のホームで次の電車待ちの列に並ぶ時、時間的な順番を守るというルールの人と、駅のアナウンスのルールを守る人がいる。具体的に言うと、列に到着した順番に列の前から詰めて並ぶ人(恐らくこちらをルールにしている人が多い)と、ホームのアナウンスで、2列に並んでと言っているのを守り、既に一列に並んでいる人がいたとしても2列目の先頭に並ぶ人のことだ。  後から来たのに列の先頭に割り込むなんてけしからんと思う人も多いと思うが、当の本人は

法律とモラル

 法律を守ってさえいれば何をしても良いということではない。法律に反していないことであれば何をしても許されるということでもない。法律はその社会で最低限守るべき事を纏めたものであって、全てを網羅はしてはいないから、守るべき事は法律以外にもある。  例えば、日本の民事事件の場合、殆どのケースで法的には被害者に原因や損害の立証責任がある。だから、たとえ自分が悪いことをしたと思っていたとしても、相手が立証出来る見込みがなければ、知らぬ存ぜぬ記憶にあらぬを通すことは可能だ。しかし、自分

映画『怪物の木こり』

 サスペンス・ホラーとでも呼ぶべきジャンルだろうか。  時代を隔てたふたつの猟奇的な連続殺人事件が物語の中心にある。追う刑事たちと追われる犯人という構図は当然だが、もうひとつ中心に添えられているのが、タイトルにもある怪物の木こりという絵本だ。  木こりの姿をして人間社会に溶け込んでいる怪物は、人知れず次々と人を喰っている。ムシャムシャ、ゴックン。絵本の物語を読み上げる子供の声とその内容のアンバランスさが奇怪だ。そういえば赤ずきんだって人が喰われるシーンがあったから、案外子供

デジタル時代のコミュニケーション

 スマホ使用によって前頭前野の活動が低下し、ネットで提供される情報はあなた向けに選別済みの極めて狭い情報が集まる。視野が狭くなることばかりだ。  仕事や日常生活でのリアルな対面あるいは対話によるコミュニケーションの割合はここ十年、二十年で確実に減った。一人の人が接する情報チャネルは狭い範囲に限定される傾向が強まっている。  スマホを持つ大半の人は、1日のうちの少なくとも数時間を画面を見つめて過ごしているだろう。今の人には信じられないかも知れないが、過去にはこんなことはなかっ

人類の未来のために

 人間は、その頭脳による思考力によって他の生物とは違った存在になり得ている。脳の発達が導いた発展は地球を覆うまでになった。  しかし、知性や理性や思考は様々なもので乱される。  まず、暑さで乱される。  こんなにも暑いとぼーっとするのが精一杯で、考えることが出来なくなる。いくらエアコンをつけて寝たとしても、朝に家から一歩出れば危険なほどの暑さが襲ってきて、考えるどころでは無くなる。  冷房の効いた屋内に逃げ込めば暑さは無くなるが、寒暖の過度な変動は身体の変調をきたす。

視野が狭くならないために

 何かを見聞きし、それを理解しようとする時、人は自分の持っている枠組みの中でしか捉えられない。そうした枠組みは、その人がそれまでに見聞きし経験したこと(知識と経験)を素にして形作られる。そこに知恵が加わることによって枠組みは拡張可能だ。知恵は経験から抽出されたエキスである経験則と論理からなる。経験則は経験そのものではないからそれだけでも有効だが、論理の掛け合わせによって更に大きなものになる。  枠組みから見える範囲には常に限りがある。枠組みは拡張可能なのだが、拡張することを

暑い暑い…

 暑い暑いと言ったところで、暑いのは無くならない。それなのについ、人の顔を見れば暑いですね〜なんて言ってしまうのは、絶対に同意が得られるからだろう。共感を確認したいのだ。どんなに小難しい事を言っていようが、人の会話は基本的にはこれに尽きる。つまり、分かって貰いたいのだ。  言っていることの意味を分かって貰うことと、その考えを受け入れて貰う事は違う。現実社会ではその両方を得ようと思うと意外に難しい。  その点で、天気の話は取っ掛かりとして使い易い。青空を見上げて良い天気ですね

接客のスタンダード

 とあるコンビニでの接客の取り組みがテレビ番組で取り上げられていた。接客の上手な店員にかかると、勧められたキャンペーン商品など、つい余計な買い物をしてしまうという。良い接客は売り上げ向上に繋がっていると、接客のための研修風景が映し出された。  マニュアルに書かれた言葉を単調に並べるだけの無味乾燥な接客に比べ、一人ひとりに話し掛けるような接客は人間味に溢れている。単なる客と店員という関係性を超えて、コンビニが人と人との自然な交流の場になっているのは羨ましいとさえ思った。しかし同

映画『ジェミニマン』

 ヘンリーは知る限り世界一のスナイパーだ。そんな腕利きの狙撃手が引退を考え始めた時、かつての戦友ジャックに衝撃の事実を告げられる。最近狙撃した標的が悪事を働いた人間ではなく、一般人の科学者だったというのだ。ヘンリーが知らされていた狙撃対象についての情報が事実と違っていたということだ。その直後、ヘンリーはなぜかアメリカ国防情報局から命を狙われる羽目になる。寝込みを襲ってきた数名の暗殺者達を倒すと、ジャックが最後に伝えてきたロシア人に会いにヨーロッパに向かう。  ストーリーに触