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デジタル時代のコミュニケーション

 スマホ使用によって前頭前野の活動が低下し、ネットで提供される情報はあなた向けに選別済みの極めて狭い情報が集まる。視野が狭くなることばかりだ。
 仕事や日常生活でのリアルな対面あるいは対話によるコミュニケーションの割合はここ十年、二十年で確実に減った。一人の人が接する情報チャネルは狭い範囲に限定される傾向が強まっている。

 スマホを持つ大半の人は、1日のうちの少なくとも数時間を画面を見つめて過ごしているだろう。今の人には信じられないかも知れないが、過去にはこんなことはなかったのだ。手に持ってどこにでも運べるほどの通信端末が無かったから、コミュニケーションに文字を多用することもかつては無かった。当時のコミュニケーションは主に声によって行われていた。
 そして何より、今では対面以外でのコミュニケーションのリアルタイム性が格段に高まった。相手がいるかいないかに関わらず、終始誰かと交信していて、そのチャネルは途切れることが無い。

 メッセージアプリを通じた通信は形式上はリアルタイムな双方向通信でありながら、実際には少し違う。既読がついた後、相手からの返信待ちの間に相手の様子を把握するすべがない。この待ち時間こそ、あらぬ想像をさせてしまうことになる。相手との会話のはずが自分の頭の中の妄想との会話のようになってしまう。まして文字のやり取りは、意味の解釈に読む側の意図が上書きされるから、相手の書くことを読んでいるようでいてこれも独り言のようになってしまう。これを繰り返していると、あなたの言うことはこういうことですよねという自分なりの解釈を予め持った上で、相手の言葉を読んだり聞いたりすることになりかちだ。そうしたことがあちこちで起きている気がしてならない。

 前頭前野の働きが衰えるということは、知性や理性があまり機能せず、思考力や注意力が落ちて、思い込みが激しくなるということではないか。それとディスコンティニュアスな文字コミュニケーションが相まって、私たちは表面的には交流しているように見えていても、ろくなコミュニケーションになっていないということはないだろうか。
 誤解や思い違いと言うだけではもの足りないミスアンダースタンディングだらけのやり取りは、理解し合うことよりもその場を過ごすためだけの表面的なものに終始することになる。

 もし、スマホのせいで、視野が狭く思い込みが強く周りが見えない人が増えているのだとしたら、なるべくスマホに触れない生活をしてみることも必要だろう。かなり難しいことだけれど。

おわり
 


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