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どんなにオシャレをしていても

 人は見た目が大切だと言われる。確かにその通りだ。何だかんだ言って見た目が一番分かり易い。でも、それは内面が伴ってこそ生きてくるもの。見た目が極上でも人間としてクズだとしたら、ホント勿体ない。
 清潔感を心掛けることは出来たとしても、元々持ち合わせている容姿は変えようもなく、見た目だけで勝負出来る人はなかなかいないものだ。内面が滲み出るほど良い人であれば見た目を上回ることが出来なくはないが、そんなにも内面が優れている人もこれまた少ない。普通の人はどこまで行っても普通なのだ。例に漏れず私もその普通の中の普通で、全く目立たず人目を引かず、ひっそりと生きている。

 予定の時間より早く着くことを常としているため、私はチェーン店の喫茶店に寄ることが多い。入店時に声を掛けられるのは当たり前だろうが、余りにも私が普通なのか、他のお客さんは掛けられているのに、私が退店時に声を掛けられることは少ない。たまたま店員が目を離したタイミングだったのだと思うことにしている。
 それなのに、渋谷駅のハチ公前の雑踏の中で、何かの勧誘らしき声を掛けられるのだから、普通どころか不幸の代表の様な顔付きなのだろう。
 だからといって、終始笑顔でいても気持ちが悪いだけなので普通の顔をしている他無い。

 どれほどファッションセンスが良くてオシャレで清潔感のある身なりをしていても、姿勢が悪ければそれなりにしか見えない。それに、電車の席上の棚をゴミ箱代わりにしたり、混雑した場所で盛大にくしゃみをしたり、道端にポイ捨てをしたりすれば、着ている洋服の方が可哀想に思うくらい残念な人に成り下がる。本人は全くそんな気が無さそうなところがまた、みすぼらしい。少なくとも全然格好良くは見え無い。
 極上の装いで無いにしても格別身なりがだらしないつもりも無いのに人の視野にも入らない私などにしてみれば、生まれ持った容姿に恵まれた人やファッションセンスに長けた人は実に羨ましい限りだ。そんな人はそれだけで特別なのだから、それ以上に特別な存在だと思わず、謙虚にマナーを守って欲しいと切にねがっている。決して僻みではない。

おわり

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