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法律とモラル

 法律を守ってさえいれば何をしても良いということではない。法律に反していないことであれば何をしても許されるということでもない。法律はその社会で最低限守るべき事を纏めたものであって、全てを網羅はしてはいないから、守るべき事は法律以外にもある。

 例えば、日本の民事事件の場合、殆どのケースで法的には被害者に原因や損害の立証責任がある。だから、たとえ自分が悪いことをしたと思っていたとしても、相手が立証出来る見込みがなければ、知らぬ存ぜぬ記憶にあらぬを通すことは可能だ。しかし、自分が悪いと思っているのであれば相手が立証出来るかどうかを待つまでもなく謝って然るべきというのが社会のルールだろう。

 かと言って、民事であれ刑事であれ、被害者は加害者に対してどんな要求をしても良いということではないから、法の下では被害者と加害者の双方を公平に取り扱う必要があるのは言うまでもない。身内を殺されたら犯人を殺すというのであれば法はいらない。
 その意味では、感情的には受け入れられないことも法の下では受け入れざるを得ないこともあるということになる。法が社会全体の利益を前提としているからで、個人の利益よりも社会の利益が優先される面がある。

 当たり前のことだが、法律とモラルは全く別物だ。別の体系のものだ。モラルの代わりに社会常識と言い直しても良いだろう。だから常識では受け入れられないような裁判の結果が生じることがある。モラルや社会常識から逸脱した法律など意味が無いと思うかも知れないが、モラルや社会常識は一定のものではない。時代によって個人によって受け止めが異なる。体系化されているのはモラルではなく法の方だ。モラルは体系化されていないから、法に比べると、より捉えどころが無い。

 もちろん、法体系も一度決めたら永久に変わらないような固定的なものではなく、社会の趨勢に伴って変化していくものだ。常識的な観点を踏まえつつ解釈は変化していっているし、法改正も行われている。それでも、法としての独立性や公平性も重要で、その時々で揺らぎ過ぎるのも問題だ。だからどうしても納得のいかない判決が出ることもあるし、意味不明な条文があったりすることになる。

 翻って、法律を守っていれば何をしても許されるということはない。
 法律に反していなければ何をしても正しいということはない。
 私たちは、捉えどころが無いモラルや常識に従う必要もあるのだ。考え方の多様性は重要だし自由は尊重されるべきだが、身勝手な行動が許されるのとは違う。自分の利益を優先することだけを前提とした行動は、時に周囲に害を及ぼすのであって、独自の社会正義を盾にした行動は、社会の利益になるとは限らない。

「人に迷惑を掛けるようなことをしてはいけません」
 親からしばしば言われたその言葉は、法律よりも何よりも前に念頭に置いて過ごすべきことなのだと、改めてハッとすることがある。

おわり

 

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