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光が当たらない高齢者の「困りごと」に寄り添うために

初めまして。東京都健康長寿医療センター研究所「福祉と生活ケア研究チーム 介護・エンドオブライフ研究」研究部長の井藤 佳恵です。私は、複雑な支援ニーズをもつ高齢者が、望む場所で暮らし続けるために必要な支援方法を探る研究をしています。

調査に反映されない、本当の「困りごと」とは

私は高校を卒業後、文学部フランス文学科で学びました。大学卒業後は(株)伊勢丹に就職し、それから医学部にはいりましたので、医師としては少し変わった経歴かもしれません。治らないものがあること、変えられないものがあることに正面から向き合わざるをえない精神医療の世界に惹かれ、精神科医になりました。

人がどう生きるかということに普遍的な正解はないと私は考えています。多様な価値観に基づく多様な生き方があって当たり前ということを、まず受け止めたい想いが私の根底にあります。これは、もしかしたら大学時代の文学研究から学んだことが影響しているかもしれません。

宮城県で臨床を8年、東京都健康長寿医療センター研究所に5年勤め、その後、都内の精神科病院に5年半勤務。2年前の秋に東京都健康長寿医療センター研究所に戻ってきました。

大学病院、地方の精神科病院、都内の精神科病院の臨床、それから、地域保健の仕事を経験して感じたことは、私たち医療側が想定するニーズと、実際に求められているものがズレているのでは?という疑問です。自分では解決が難しく、自己責任に帰すことが適切と思えない課題を抱えているのに、誰に知られることなく、困っている方々がいます。

このズレはなぜ起こるのでしょう。
制度政策に反映される支援ニーズの想定は、調査を元に行われます。しかし、そもそもその調査に協力してくれた方々は、調査に同意し、「自分の意見を言える人たち」です。調査に同意しなかった人、自分の意見を言えない人たちの意見は、反映されにくくなっていきます

なぜ支援を求めることを諦めてしまうのか?

なぜ調査に同意せず、自分の思いや意見を伝えることを諦めてしまうのでしょう。こういった方々の多くは、「支援を求めたものの、助けてもらえなかった経験」があります。

例えば、経済的に困窮し、必要な医療を受けることも躊躇する状況に陥ってしまったとします。しかし、どんなに困っていても保護基準を満たしていなければ、生活保護の相談に乗ってもらうことさえ難しい現実があります。
また困ったら来てください」と言われても、今まさに困っていて、同じ状況がずっと続くのに、どうすればいいのでしょう。このような経験をすると、期待することをやめ、支援を拒むようになり、何より自分たちの意見が反映されることはないと、期待もしなくなります

こういった経緯から、調査対象から漏れた隙間領域が生まれます。
調査をするにあたって同意を取るのは、人権への配慮からです。しかし、人のあり方は実に多様で、ウェルビーイングな状態も多様。ですから支援ニーズも多様です。大規模な調査だけでは拾いきれないものが必ずあり、丁寧なインタビューや観察、個別支援のなかでニーズを拾い、分析する作業が必要だと痛感するようになりました。

高齢者が直面する5つの課題

高齢者が抱える困りごとの多くは複雑に絡まり、当人も何に困っているのかわからない状態であることが少なくありません。

経済的に豊かで、頼りになる家族や友人がそばにいる場合は、困りごとを解決しやすいかもしれません。足が不自由になったら、まず病院に行って原因を調べるでしょう。治療の可能性を探り、必要であれば歩行補助具の使用や住宅改修について検討することも可能です。

話に耳を傾けること、相談に乗ることは「情緒的支援」と呼ばれます。これも、誰もが受けられる訳ではありません。

では、経済的に貧窮していて、家族もおらず、社会的に孤立し、家も失いそうな足の不自由な方は、いったいどうすればいいのでしょう。何が最優先の課題で、何から手をつけることが有効な方策でしょうか。

このため、まずは困りごとを分解、分類するところから研究をスタートしました。高齢者の方々が直面する困りごとは、大きく以下の5つに分類することができます。

①精神的健康の課題
認知症・その他の精神的健康の課題を抱えていて、それが未診断・未治療で、生活や人間関係に影響を与えているケース。

②身体の健康の課題
多くの人は、中年期頃から1〜2つの持病を持ち始めます。そして年齢を重ね病気と長くつき合うなかで、セルフケアが難しくなってくることがあります。例えば、糖尿病をお持ちの場合、神経障害、網膜症、腎障害などの合併症が知られています。神経障害があると痛みなども感じにくくなり、傷ができていることに気づかなかったりします。セルフケアが苦手になってくると、傷が膿んでしまっているのに気づかない、ということもありえます。

③家族の課題
現在の日本の社会制度は、保護力がある家族がいることを前提にしています。ですから、そういう家族がいない場合に困りごとを抱えやすい、ということがあります。

そして、家族介護者がいないことばかりが課題なのではありません。たとえ家族がそばにいたとしても、関係が良くないケースもあります。極端な例で言うと、認知症を持つ高齢者の方が、介護者である家族から虐待を受けている場合です。

さまざまな困りごとと家族の課題が組み合わさるケースが、とても多くみられます。家族の介護力に期待できないことは、決してめずらしいことではありません。家族介護者なく高齢期を生きる、要介護高齢者の暮らしについて考えていくことは、非常に今日的な課題です。


④近所づきあいの課題
近所づきあいを含めた人間関係が希薄、あるいはうまくいっていないケース。「困ったときはお互いさま」というご近所づきあいがない状態も、もうそれほど珍しくありません。

足が痛くてゴミを出すのが大変、認知症があってゴミ出しの日がわからなくなってしまう…。そんな心身の健康問題を抱えていても、助けを求められない。すると、ゴミを溜め込む、ゴミ出しのルールを守らないなど、いわゆる「困ったご近所さん」になってしまうことがあります。

⑤金銭トラブル
借金、家賃・電気代の滞納などにより家を失ったり、生活が立ち行かなくなるケース。税金・保険料等の滞納のため医療や介護サービスが全額自己負担になってしまい、結果として必要なサービスを利用できないこと、経済被害にあうことなど、お金の問題も高齢者の「困りごと」の一つ。

持ち家に住み、経済的に自立している子どもがいて、家族が介護を担ってくれるという家族モデルは、今や一般的とは言えなくなってきています。例えば、月に14万円の年金で、家賃6万円の賃貸住宅で生活している方に医療・介護費がかかる場合をイメージすると分かりやすいかもしれません。食費や日用品の購入、水道光熱費などを鑑みると、「医療・介護費にまわせるお金はほとんどない」とご本人たちが感じるのは無理ないことのように感じます。

自分の価値観を持ち込む前に

高齢者の方々が抱えるこのような「困りごと」について考え、対応するスキルを身につけていくために、研究を進めながら専門職の方の教育プログラムを作っています。この時に、まず最初にお伝えしていることが、「自分の価値観を持ち込まないこと」です。

初めて会う人が「あら、ひどい。改善してあげますね」と自分の世界にズカズカ入ってきたら、今の自分がダメだと否定されているような気持ちになりませんか?否定されることから始まる人間関係を気持ち良いと思う人は、いないと思うのです。価値判断は他人がするものではありません。

いわゆる”ゴミ屋敷”にしても、「ダメだ」と感じる自分の価値観は一旦置いて「こういうふうに暮らしていらっしゃるんですね」と、まずは一人で頑張っていることを受け止め、その上で、ご本人と共有できそうな課題を見つけて、「こんな方法がありますよ」と提案してみることが大切だと私は考えています。

これまでお伝えしてきた高齢者の「困りごと」は、実は解決できないことの方が多いです。そして解決することに重きを置いてしまうと、「どのサービスを使うか?」という話になりがちです。既存のサービスが合わないから、今こういう状態になっています。すぐに解決を求めるのではなく、根気強く話を聞いてコミュニケーションを重ね、支援者の価値観ではなく、ご本人の価値観で、少しずつ現状を良くしていくことが大切です。

ただ、緊急性の高いものはすぐ対処するようにしています。

いわゆる”ゴミ屋敷”の場合、生ゴミを長く放置したために床が抜けてしまっていたとしたら、とくに寒い季節をひかえている場合は、床の補修は、早くしたほうがよさそうです。

ただ物が多い場合は、床が抜ける事態に比べると緊急性が低いです。この場合は、体を伸ばして眠れる場所をつくるということが、ご本人と共有しやすいことかもしれません。このように「何を先に解決したら暮らしやすくなるだろう?」という視点で考えることが大切です。

リスペクトをもって、伴走を

困難な状況を抱えながらも、彼らは自分の人生を歩いてきました。それは今日も同じだし、これからも変わりません。リスペクトをもち、少しだけ彼らに伴走させていただけたら嬉しいなと考えています。

もし、私のこの考え方や課題意識に共感していただける研究者や行政担当の方がいましたら、ぜひご連絡をいただけたら嬉しいです。もちろん、本記事を読んで共感してくださった方々からの感想も大歓迎です。

昔ながらのコミュニティは、ずっとは続きません。コミュニティも高齢化していきます。また、「田舎にはコミュニティがある」という考えも幻想に近いものだと思っています。

家族に任せきりにするのではなく、行政や民間が手を取り合って、本当に必要な支援を考えていくことが大切ではないでしょうか。

井藤佳恵
kaeito@tmig.or.jp

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text=佐藤まり子


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