Free&Easy

アパレル(若気の至り)→珈琲専門店2年半(修行期間だった)→ベーカリーカフェ店長(現在…

Free&Easy

アパレル(若気の至り)→珈琲専門店2年半(修行期間だった)→ベーカリーカフェ店長(現在)文筆もできる喫茶店のマスターにあこがれて、このような発信の場所を見つけました。どうぞよろしくお願いします。

最近の記事

  • 固定された記事

中今を生きる。

スピリチュアルというか、 宇宙の法則を知り始めてから、 「この瞬間を生きる」 ことが大切だと知る。 それが表題の「中今を生きる」ということなのだが、 そもそも中今とはどういう意味なのか。 広辞苑によると 「過去と未来との真ん中の今。遠い無限の過去から遠い未来に至る間としての現在」 とある。 考え方としてはこうである。 ・たった今、この瞬間を心地よく生きる ↓ ・心地よいという意識が反映されて、心地よい現実がやってくる ↓ ・その繰り返しが将来に繋がる ドがつくほどシン

    • 「他人は自分の鏡」の解釈

      「他人は自分の鏡」という表現があります。 今、目の前に広がっている現実世界は、 自分自身の意識の反映であるから、 例えば、ネガティブ思考の人が身の周りに多いと感じて、 少し嫌だなと感じるとしましょう。 でも実はそれは自分自身がネガティブになっているとも 考えられます。 同様に、例えば周りに“少し体調が悪そうだな“とか、 “元気ないな“と感じる人が居るとして、 それが心配になったり、気付いてしまうことは、 実は自分自身にもその要素があるのでは? と考えてみてください。 私は

      • 正しい選択をする為に直感を磨く

        自分の知りたい情報は、求めればその答えは簡単に見つけ出せる現代だけど、 検索をすればむしろ情報が多すぎて、 どれが正しい答えなのか、どれを信じればいいのだろうかと、 今度はその現実に悩んだりもして。 そんな場面が誰にもしばしばあるのではないでしょうか。 最近特に改めて痛感することは、 「十人十色、人それぞれ」ということ。 身近なことで言えば、セクシャリティだってどんどんカテゴリーが増えて、 LGBTQ +と表され、もう「男」だ「女」だ、って表現は昔のものになっている。 そも

        • 心も身体も健康に

          コロナによる自宅隔離を経て、 職場復帰したものの、周りがバタバタと倒れて、 激務になって、やっと落ち着いてきたのは最近のお話。 一度崩れた生活のバランスを戻すのはなかなか難しい。 よくアスリートが「練習をサボると取り戻すのに時間がかかる」 みたいなことを言っているが、 僅かながら気持ちがわかった気がする。 私にとってのそのバランスというのは、 「自分自身と向き合う」ことである。 激務の時は自分を大切にする時間が取りにくかったり、 明日の営業がどうなるのか、という日々変化し

        • 固定された記事

        中今を生きる。

          身体の不調は次の次元へ進む為の準備

          日々の生活に追われ、 更にはコロナに感染してしまったりもして、 更新が遠のいてしまった。 完全に日々の生活のバランスが崩れ、 隔離生活中もあらゆることに対してやる気が起きず、 非生産な日々を送ってしまい、そんな自分に嫌気が差すという悪循環にハマってしまった。 その間に夏至も過ぎた。 そこからエネルギーが大きく転換したなんて言われているけど、 それを身をもって体感している。 夏至を境に突然に新たな目標ができ、 職場では「もうここじゃないんじゃない?」と言われるような 出来事

          身体の不調は次の次元へ進む為の準備

          3連休が急にできたらどう過ごしますか?

          5,6,7月は時の流れが加速すると聞いてはいたものの、 こうも速いだなんて想像していなかった。 今を生きる、といつも口にしているけれど、 無意識にそうせざるを得ないというか、 先のことを考える余裕もなかった。(自分のキャパが狭いだけ) 6月の前半はそんな風に日々を過ごしていて、 つい先日、束の間の3連休があった。 5月末にはこの3連休で奈良や京都など関西圏に旅行しようと 考えていたのだけれど、結論から言うと旅行はやめた。 それは、あまりに自分の時間を確保できず、 ゆっくり

          3連休が急にできたらどう過ごしますか?

          「眠い」はアップデートのサイン

          6月に入ってから妙に忙しい日々を送っていた。 私にしては珍しく予定が多めに入っていた。 そして、急にやってきた眠気との闘い! 1日どころではない。 1週間ほど経過した今でも眠い。 ちゃんと寝ているのに眠い。 むしろ寝ないとやっていられない。 いつもだったら仕事の休憩時間は読書や考え事をして過ごしているのに、 この期間は仮眠をしないと後半戦を乗り切れないほど。 究極では立ったまま寝れると思う時間もあった。 そんなこんなで、予定が詰まった日々と眠気で私の時間は奪われ、 色々なこ

          「眠い」はアップデートのサイン

          不足の意識がその現実を映し出す。

          あれだけ危惧していた水星逆行の期間も終わり、 振り返ると順調な日々で、心は穏やかに過ごせた。 それは、「こういう時期」なんだという意識がはたらいて、 気が楽だったから、なのかもしれない。 そのちょっとした知識だけで、 気持ちが楽になり、その意識が現実に反映して、 心地良い現実がやってきたと感じている。 そんな5月と6月の月跨ぎのタイミングは 最近にしては散財をしてしまった。 友達とのご飯が重なったり、 夏服なんかも少し良いモノを買ってしまった。 だけど、それは後悔とか後

          不足の意識がその現実を映し出す。

          シンプルが難しかったりする。

          最近の不安定というか予報通りにならない天気は やっとのことで安定したのだろうか。 あの気分屋な空にはどんな意味があったのだろう。 私の精神もなかなか安定はせず、 「自分軸」と自分自身に言い聞かす日々である。 本当に自分自身と繋がっていれば ヒトに対して、物事に対して何も感じなくなると 聞いたことがあるけど、 仕事ではたまにうまくいかない。 最近ずっと口にしている、 水星逆行の影響だと思いながら 都度その気持ちを手放す。 簡単なハズなのに、 シンプルが難しいと感じることがあ

          シンプルが難しかったりする。

          信神を怠らないこと。

          数ヶ月前に感じていた、私の身の回りの「破壊」が 「再生」に向かって動き出していることを実感している最近である。 その破壊とは職場のスタッフの離職が続いたこと。 その時はどうしようかと一瞬焦ったが、 すぐに「破壊は再生のためのもの」と意識を切り替えられた。 ヒトが離れればその分また他の誰かがやってくるもの。 その通りに新たな個性が集まり出している。 私の考えからすると、 その破壊を目の当たりにして、 ネガティブな感情のままでいると、 そのネガティブが現実に反映してくる。

          信神を怠らないこと。

          ひょんなことから体質改善。

          ある日、仕事中の私の目の前に突如として現れた、 少し不思議なおばさんが居た。 私の接客を気に入ってくれたようで、 少しお話をして、その流れで「肌が綺麗だね、何使ってるの?」 と言われた。 私は特別良いものは使用しておらず、 無印良品一択。 日焼け止めは気分で塗っていたし、 化粧水だけは絶対していたが、乳液はこれまた気分で塗る程度。 それでも、確かに友達にも何度か同じことを言われたことがあった。 素直に大したものは使用していない旨を伝えると、 なんと、そのおばさんは化粧品の

          ひょんなことから体質改善。

          「怒る」と「叱る」の違い。

          水星逆行のお話は前回にしたが、 予想通りヒト(部下)と摩擦が生まれた。 でも、そんな時も 「そうゆう時期だから」 「なんとかなる」 の心持ちで一喜一憂せず、冷静に。 でも、生きていると誰かしらと関わることは必須であるし、 特に仕事となれば密で関わり、そこで摩擦が生まれることもしばしばだろう。 今回の一件で改めて「怒り」と「叱る」の違いについて考える。 人間関係にもやもやした時に、 その感情をどこかにぶつけたり、愚痴を言って気晴らしをするのは簡単だろう。 しかし、そのネガ

          「怒る」と「叱る」の違い。

          水星逆行が私にもたらすもの。

          ここのところ身体が軽い。 以前に書いた、波動を軽くするための習慣の1つである毎日のストレッチが効いているのかもしれない。だけど、精神的にもストレスが少ない。元々ストレスを抱える性分ではないが、極めて良好である。 だけど、5/10から6/3まで水星の逆行に入った。 これは星回りのお話で、一年に3回あるのだが、 一般的には「情報や言葉」に関する不具合や通信機器の故障など、 物事がスムーズに進まなくなることがある、とされている。 私の場合だと、この期間はヒトに関して感情的になる

          水星逆行が私にもたらすもの。

          全ては良い方向に向かっている。

          愛宕神社は出世の階段と言われる急斜面の石段がある神社。 その階段を止まることなく登ると出世ができると伝えられている。 私は過去2回、愛宕神社にお世話になった。 それは、アパレル企業でアルバイトとして勤務していた頃。 当時は正社員を目指して奮闘していて、その為の試験に臨む際に願掛けに伺った。 結論から言えば、私はその試験を2回受け、2回とも失敗した。 1回目は何かNGワードを発したようで、 2回目に関しては手応えはあったが、理由は伝えられずに終わった。 神様のせいにする訳

          全ては良い方向に向かっている。

          波動を整える為に実践している7つのこと。

          サービス業をしている私は、このGWは止まることなく働いている。 お正月は休めるから、一年の中で唯一この期間だけこの業界に居るのが嫌になる。 この期間の真っ只中で感じていることがいくつかある。 ・月末月初で土日はやめてほしい。(おかげで連勤になっている) ・でも、こんだけ連勤しても深いストレスを感じていないのは、 好きなことをやっているからだと思う。 ・だけど、「心の豊かさ」はやはり犠牲にしている気がする。 その犠牲感は「明日も仕事だからこの時間に寝なくては」という意識が

          波動を整える為に実践している7つのこと。

          「なんとかなる」は魔法の言葉。

          「なんとかなる」は魔法の言葉だと思う。 無責任な言葉などではない。 過去を振り返ってみてもなんとかなっている。 それは運がいいだけ? それも一理あるだろうけれど、 「なんとかなる」って思ったから「なんとかなった」と思う。 あまり深く考えすぎても この地球上で一人で生きているわけではないから、 必ずと言っていいほど他の誰かによってプランは書き換えられたりするし、 思わぬ解決策が思いつくかもしれない。 やはり、今その瞬間を生きてみないとわからないと思うのである。 だから、その

          「なんとかなる」は魔法の言葉。