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「なんとかなる」は魔法の言葉。

「なんとかなる」は魔法の言葉だと思う。
無責任な言葉などではない。
過去を振り返ってみてもなんとかなっている。
それは運がいいだけ?
それも一理あるだろうけれど、
「なんとかなる」って思ったから「なんとかなった」と思う。

あまり深く考えすぎても
この地球上で一人で生きているわけではないから、
必ずと言っていいほど他の誰かによってプランは書き換えられたりするし、
思わぬ解決策が思いつくかもしれない。

やはり、今その瞬間を生きてみないとわからないと思うのである。
だから、その瞬間である「中今」を心地よく生きよう。
という結論に至るのが常である。

職場の人達を俯瞰して眺めると、
二極化がどんどん明確になっている気がしている。

ある人は身体が「休め」のサインを出し始めた。
それは一見するとネガティブに思えるかもしれないが、
視点を変えれば、ここで立ち止まることで自分自身を見つめ直すきっかけができるし、
新しい道を見つけることができる可能性ができたのである。

ある人は以前にも増して愚痴が多くなっている。
「あの子は全然できてない」
「あの子がやってくれないから自分が3倍仕事している」
など、他人のせいにして現実を嘆いている。
その現実を映し出しているのは自分の意識であることを理解すれば簡単なのに、
一言でそれを伝えても相手に伝わる訳がないからもどかしい。
とりあえず、ネガティブな波動は受け取りたくないから受け流しているが。

私は、店長という立場ではあるものの、
責任感みたいなものは大して抱いておらず、
まさに「なんとかなる」の精神で日々過ごしている。
たくさんのスタッフと働いているから摩擦が起きることも、
波動が合わないスタッフも勿論いる。
だけど、心地よくない感情は都度手放し、
波動が合わなければ、できるだけ関わらないようにしている。

そんな一見するといい加減な店長のように思われているかもしれないが、
一応売上はしっかり取れているし、周りのスタッフも協力してくれてなんとかなっている。

だけど、今の生活をこのまま何十年も続けていく自分は見えなくなっている。
企業に属さない生き方、自分の店を持つ、働き方を変えるetc…
色々と考えていた数週間前までの私だったが、
そんな時齋藤一人さんの「絶対、なんとかなる!」の書籍に出会った。
私がここまで記載してきた「なんとかなる」の考えが全肯定された内容のその著書に終止頷きが止まらなかった。
そして、数週間前までの私は結局未来に対して不安を抱え、すっかり「なんとかなる」のモットーを忘れてしまっていたことに気がついた。

私はいざ自分のことになると、それまでの考えを忘れてしまうことがある。
渦中の中にいると360度その悩みに囲まれて俯瞰できなくなるのである。
だけど、目的・目標を決めて、あとは神様に任せよう。
その為に、神様をはじめ、あらゆることに感謝を忘れないようにして。

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