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「RAPで知った 人に認められるということ」TKda黒ぶち自叙伝『Live in a Dream~夢の中で生きる』第4回

TKda黒ぶち自叙伝『Live in a Dream~夢の中で生きる』

第1回 「笑わない子ども」
第2回 「邂逅と疎外」
第3回 「孤独な少年 居場所を見つける」

ちょっといい光が差してきた
TKda黒ぶち/ Photo : Shunichi Oda

・渋谷ハチ公前サイファー

高2の夏、友だちと渋谷と裏原へ買い物に行った。いまはなきレコード店CISCOがあるシスコ坂を通りかかった時だ。大勢の人がRAPをしている。気になった自分は、友だちを待たせ、その様子を見に行った。それがDARTHREIDERさんをはじめダメレコのメンバー、ビートボクサーの太華さんが中心となって開催していた渋谷サイファーの第1回目だったんだ。

「ここで輪に入らなければ」

そう思った自分はサイファーに参加。クラブで名を上げてる方々とフリースタイルするはじめての感覚。これはヤバい。新しいコミュニティを見つけた。しかも横浜や千葉、茨城から集まるラッパーたちのレベルが高い。埼玉の同世代の中では、一番フリースタイルが上手いと自負していた自分にとって、やっぱり世界は広いんだなと思わせてくれた。すべてにおいて自信がなかった自分が初めて自信を得るキッカケがフリースタイルだった。

毎週土曜はほぼ休みなく1年間渋谷ハチ公前サイファーへ。ここでたくさんのプレイヤーと親交を深め、さまざまなキッカケを与えてくれることになる。それまでライブしていた浦和や春日部のクラブでは出会わない、地元は違うがほぼ同じ世代のプレイヤーとの交流は高校生の自分にとっては刺激的だった。

中でも主催のDARTHREIDERさんは印象的だった。初めて作ったデモCDを聴いてほしいとダースさんに言ったら、

「それじゃあ来週、ハチ公前に取りに行くよ」

翌週に本当に来てくれた。それもその為だけにハチ公前に来てくれたのにはびっくりした。シーンでしっかり名を上げている方がまだRAPを初めて半年くらいしか経っていない無名の自分に優しくしてくれたのが何よりも嬉しかった。

またある時、めちゃめちゃRAPが上手い人がいた。RAPの中で「SEEDA」と名乗っている。サイファーが終わり、おっかなびっくり「SEEDAさんてあのSEEDAさんですか?」って聞くと、本物だった。当時、SEEDAさんはあまり顔を出していなかったからわからなかったんだ。

そんなサプライズもあったが、渋谷サイファーをキッカケにどんどん自分の活動の幅が広がっていく。いろんなラッパーとも出会った。関東はもちろん、毎週静岡から来てるラッパーがいたり、そこで出会ったラッパーが主催してるイベントでライブをしたり、デモCDを交換しあっていろんなスタイルを知ったり……。高校生ながら全国のさまざまなな土地の人と遊べるのは貴重な経験だった。

彼らとは全員ではないが未だにつながっている。出会いとつながりは宝だと本当に実感している。

当時の自分は、MCバトルといえば「B-BOY PARK」しか知らなかったし、フリースタイルはカッコいいけど、MCバトルに対しては懐疑的でもあった。だって、見ず知らずの初対面の相手をDISるって……。でも、渋谷サイファーに参加しているうちに、さまざまなクラブでバトルが開催されていることを知った。そしてバトルの概念を変えてくれた一番のキッカケは「B-BOY PARK 2002」決勝での漢 a.k.a GAMIさんと般若さんのバトルを見たこと。ただのDISりあいではなく、魂と魂のぶつかり合いだと感じたんだ。渋谷ハチ公前サイファーの中でも正式な大会ではなく野良バトルがあり、その野良バトルが初めてのバトルでもあった。

・同世代のヒーロー、バラガキ

禁断の果実に出会い食す
TKda黒ぶち/ Photo : Shunichi Oda

はじめて正式な大会にエントリーしたのは、同世代No.1を決めるという名目で行われた昼のイベント。場所は新宿IZMという箱で主催はハチ公前で出会った”ヘッズ”というラッパー。自分は一回戦でバラガキに負けた。バラガキは、同じ歳で俺らの世代のヒーロー。有名だった。

初バトルの夜、西麻布の香というクラブでこれもハチ公前サイファーで出会った蔵人さんというラッパーが主催していた”CARVAIN”というバトルにも出場した。その日は参戦していなかったけど、このイベントで常に優勝を掻っ攫っていったのがDOTAMAさん。当時から、個性的なルックスと圧倒的な強さは群を抜いていた。DOTAMAさんが出ていなかったからなのか、自分はこの大会で準優勝を果たした。1日で天国と地獄を見たんだ

『時計の針』TKda黒ぶち ft. CHICO CARLITO

・10代で唯一の決勝トーナメントへ勝ち上がる

高2の夏、3回目のバトルとしてエントリーしたのは両国国技館で開催された「B-BOY PARK 2005」予選を突破すると10代でただひとり本戦へ進出。ベスト8でKEN THE 390さんに負けてしまったが、この経験は自分にとって大きかった。

 高2の夏のその時まで、勉強は苦手、運動音痴で自己否定と自己嫌悪しかなかった人生。その中で初めて人に認められ、勝利を味わった。人に認められ、大きい舞台で勝つことがこんなにも高揚するものだと初めて知った。

そしてこの大会で自分のバトルスタイルに大きな影響を及ぼす出来事があった。本戦1回戦のサーバイブさんとの戦いだ。当時の自分のバトルのスタイルはいまとはまったく違う。なんでも良いから、容赦なく相手をDISりまくり、優位性を見せつける。そこに相手へのリスペクトなんて微塵もなかった。サーバイブさんに勝った後、呼び出された。サーバイブさんはストリート寄りの人だったから、詰められるのかなと思ったが違った。

「いいか。お前のRAPはかっこいいから許すよ。
だからこそ、お前に言いたいんだよ。
身の丈を超えるような言葉は使うな。
たった一言でいなくなる奴はたくさんいるぞ。
お前はそれだけのスキルを持っているんだから、
そんな言葉に頼るな。リアルにRAPしようぜ」

そう心からのアドバイスをしてくれたんだ。10代のガキに負けて苛立っていたはずなのに、しっかりと正してくれたあのアドバイスがなかったら、いまの自分のバトルスタイルはないし、リスペクトのかけらもないラッパーになっていたはずだ。本当に感謝している。

ちなみに、この時会場で自分から話しかけたのが、いまでは「パンチラインフェチズ」を組んでいるNAIKA MCさん。当時から群馬のシーンを牽引する存在で、無類の強さを誇っていた。

『EDMOND』パンチラインフェチズ

・勝利という名の果実

「B-BOY PARK」のあと、勝利の味を知ってしまった自分は「もっとくれ、もっとくれ」と勝利を味わいたくて、ライブとバトルを並行してよりアグレッシブに活動していくようになる。

ソロでの楽曲も本格的に作り出した。それまで既存のトラックを利用して、リリックを書き制作していたが、バトルで出会ったVOLOさんにお世話になり、トラックを作ってもらった上に、宅録までさせてもらった。CD-Rに焼いたその音源を渋谷ハチ公前サイファーに持っていき聞いてもらったんだ。

バトルで勝っても、その相手のライブがクソカッコイイと、負けた気持ちになり、どんどんいい曲を作らなきゃ、もっと上がっていかなきゃと思ったんだ。それまで自己表現なんてほぼしてこなかった自分は、リリックが溢れ出てきた。授業中もノートにリリックを書き綴った。先生から見れば、さぞ熱心に授業のノートを取っているユートーセーのように見えただろう。結果、高校2年の1年間で100本ものライブを行った。

・孤独と疎外と仲間

充実した高校2年はあっという間に過ぎていき、高校3年目を迎えても、クラブでのバトルやライブに明け暮れていた。けれども、高2の時ほどの楽しさは失われていった。高校の3年間で、HIPHOPを通じて、大人の世界やHIPHOPの世界を知った。そこで多くの先輩や同世代の仲間ができた。なんといってもHIPHOPという居場所を見つけたんだ。

また、高校のケンジをはじめとしたクラスメートから仲間の大切さを学んだ。たとえば、友だちが自分に何かをしてくれれば、自分もその仲間のために自然と尽くす。「Loyalty」とでも言うのかな。何に忠誠を誓うか。それは仲間だってことを知ったんだ。そういう精神はHIPHOP的な基盤だなといまとなっては考えているし、地元の小学校の仲間、たとえばアヤトたちもそういう精神を持っていたとわかる。

いまだに彼らとは繋がりがある。ふと孤独や疎外感を感じた時には、仲間に会ったり、電話をするとあるべき姿に戻れるんだ。

「君はひとりじゃない」とか綺麗事を言いたいわけじゃない。

何があっても仲間がいるから大丈夫。そう思える。そういう人間関係が面倒くさい人にまでそれを押し付けるつもりはない。でも、自分の表現の根底には高校や地元で培った精神が反映されているんだ。

『トモダチ』ケツメイシ

居場所や仲間を得たことで、自分が背負っていた劣等感や孤独、疎外感は段々と消えていった。自分にとっては大きな問題だと考えていたが、そんなことは小さな問題でしかなかった。みんながそれぞれの事情を抱えながらも、人に優しく、強く生きていることを知ったのが大きかった。

・別離

少し猫背気味に、気負わずに
TKda黒ぶち/ Photo : Shunichi Oda

一方、高3になれば、卒業後の進路や将来についての話題が当然増えてくる。高校の仲間たちの多くが、卒業後就職するという。たとえ進学したとしても離れ離れになってしまう。そのことを考えると、内省的になっていく自分がいた。前にも書いたけど、母親は子ども2人をシングルマザーでも大学まで進学させることを目標としていた。

悩む自分に母親はこう諭した。

「やりたいことがなくても大学へ行くことに意味がある。
大学には春日部だけじゃなく、全国から人が集まるから見識が広がる」

迷った挙げ句、自分は名前さえ書けば合格できる大学を受験し進学することにした。

卒業式当日、自分は高1の冬にフラれた彼女の家へ行き、一緒に写真を撮った。その子とは同じ学校だったからどうしても顔を合わせる。なかなか忘れられなかった。でも、写真を撮った瞬間、自分の中でその子との思い出のすべてにけりがついた。彼女への復讐心に近い気持ちから始まったRAPだったけど、その頃になると違う景色が広がっていた。その後の自分は彼女に心底幸せになってほしいというメンタリティを持つようになる。あの失恋があったからこそ、そして仲間がいたからこそ自分は充実した高校生活を送ることができた。

高校3年で味わった、その時にしか感じられないこの感情を残しておかなければいけない。そう思い立った自分は8曲入りのEP『マージナル・マン』を制作した。高校卒業1週間後に完成したそのEPを手に自分の大学での音楽活動が始まる。

次回公開予定日4月26日

取材・文:本多カツヒロ 編集協力:イトー 写真:小田駿一

・謝辞

今回、渋谷ハチ公前サイファーやいろんなプレイヤーとの出会い、高校時代に身を持って学んだことを書きました。先日、LIQUIDROOMで行われたDARTHREIDERさんの「満期5年」に自分も出演。初めて会ったのは15歳の時。それ以来の付き合いで、お世話になっています。もちろんダースさん以外のさまざまな方々にもお世話になっています。改めて出会いに恵まれてきた人生だと振り返って思いました。また自分のことを応援して下さる方々にも感謝!

前回から投げ銭的なサポート機能を導入しました。少しだけでもご支援頂けたら幸いです。第5回をお楽しみに!

4月19日 TKda黒ぶち こと 星 隆行

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第1回 「笑わない子ども」
第2回 「邂逅と疎外」
第3回 「孤独な少年 居場所を見つける」


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