見出し画像

そこは誰かの指定席

大学のレポートを仕上げようと
最寄り駅の静かなカフェで一番安い珈琲を一杯を頼み
まとまらない文章と睨めっこをしていた

すると急に声をかけられる
「ここ空いてますか?」
見るとそこにはスラッとした女性

「あ、空いてますよ」
と慌てて向かいの椅子に置いていた荷物をどけた

「ありがとうございます」

不意な横槍で集中力が切れて
視界の端っこで、ひたすら息を吹きかけながら
珈琲を冷ます女性を見てふと思う

集中していて周りが見えていなかったから
てっきり客が増え座る場所が無く
仕方なくここに座ったのかと思ったのだが

店内を見渡すと先ほどと変わらずガラガラで
空席が八割ほどを占めていた
なのに何故わざわざこの席を選んだのか?

向かいをチラッと見ると
珈琲を冷ますのを諦めてチョコクロワッサンを
ハムスターのように両手に持ち
小さな口で少しずつかじりついていた

「あの…?」
思わず話しかけてしまっていた
「なんでこの席に?」

もしかしてどっかで会ったことがある人で
いや自分と知り合いになりたくて
こんな行動を取ったのでは?と少し期待しつつ

「すいません、満席で座る場所が無くて」
口を手で押さえモゴモゴさせながらそう言った
「ああそうですか」

自分が気づかないうちに満席になって
そして今は一気に客が帰った後なのだろうか?
ならもう移動してもよさそうなのに

もしこれが、相席した人が
足を広げて座る態度のでかいおじさんとか
やたら咳払いをしたり貧乏ゆすりをする人なら
自分から無言で移動する所だが

何の害も無い、むしろ目の保養にもなり
まあいいかとレポートの続きをしようとしたら

真っ直ぐにこっちを見る目
女性の方から声をかけて来た

「あの、変なこと言っていいですか?」
「え? あ、はい」
「最近恋人と別れました?よね?」

表情を一切変えず
口元にパンくずをつけながら
他人の、おそらく初対面の人のプライベートに
ノックも無くいきなり土足で入って来る言葉に
驚き軽く引きそうになったが

いやこれは付き合ってる人がいるのかどうか
遠まわしに聞いているのかもしれないと

「ええ、よくわかりましたね」

こうなったら話に乗ってやろうかと
土足で踏み込まれたのだから
踏み込み返してもいいだろう

おそらく少し年上か二十代後半の
素朴でおとなしい、男をそんなに知らないような見た目
笑顔が増えれば可愛く思える顔立ちでもあるし

こう言っちゃなんだが
彼女と別れたての自分には
ちょうど良い遊び相手だと思った

弱みを見せて母性をくすぐってみるか
頭の中の悪魔がそうけしかけた

「彼女が浮気してそれで別れたんです」
「浮気ですか」
「許したい気持ちもあったんですが二度目となると」
「彼女さんがですか?」
「ひどいですよね」

この境遇に同情させて可哀そうだと思わせれば
少しの時間と巧みな話術で落とせるだろう

ただ、それは普通の人だったらの話しで
すぐにそう簡単に行かないことを
思い知らされることになる

女性は少し強めの口調でこう言い出した

「違いますよね、浮気したのあなたですよね?」

何故か怒り気味でさっきまでの弱々しさは無く
きっぱりとそう言い放った

「え、何言うんですか」
少しうろたえているのはそれが図星だったから

「だって、変なこと言いますけど
 後ろにいる彼女さんの生き霊がそう言ってますもん」

それを聞いて言葉を失う
何を言ってるんだこの人は?生き霊?

「最近肩重くないですか?」
「重いです」
「片方だけとか」
「右肩だけ肩こりがひどいです」
「ほらやっぱり」

何が「ほら」なのかもわからない
なんだこの展開は
下心から仲良くなるはずの流れは何処へ行った

「肩にしがみついてますもん」
それに対応する言葉を持ち合わせていなかった

女性はようやく冷めた珈琲をチビチビと飲んで

「そんな嘘すぐにわかりますから」

と口元のパンくずにようやく気づき払い落として
微かに見せた少し恥ずかしそうな表情は
とても魅力的ではあったが

それよりも初対面の女性に全てを見透かされている
その怖さで体が固まった

女性は店内を見渡すと

「お客さん減りましたね」
「いや、さっきからガラガラですよ」

「あーそうですよね、見えないですよね」
「見えない?」
「いや、さすがに人がいる所に座るのは抵抗があって」

そう言ってさっきの微笑みを見せた
話せば話すほど可愛いさが出るタイプだった

「きっとこの場所、過去に何か起きてますよね」
「何かって?」
「あ、変なこと言ってごめんなさいね」

女性は荷物を持ち席を立つと
肩の辺りをチラリと見て

「この席もゆずってあげないと」
「誰に?」
「後ろの方に、私はお邪魔みたいなので」

そう言い残し、カップを手に奥の席へと移動した

店内は来た時とほぼ変わらず空席だらけで
当たり障りのない程度の音量でジャズがかかっていた

嵐のように現れて去って行くその背中を
何だったんだと消化しきれぬまま

荷物を再び向かいの椅子に置こうとしたら
そこに何か、目に見えない存在のような圧を感じ

急に寒くなり全身に鳥肌が立ったかと思ったら
飲みかけのアイスコーヒーの
そのストローが触ってもいないのに
ぐるぐると回りはじめた

思わずさっきの女性の方を見ると
ハムスターのようにチョコクロワッサンを両手で持ち
小さな口でかぶりついていた

カフェで書いたりもするのでコーヒー代とかネタ探しのお散歩費用にさせていただきますね。