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何層にもなっている感情



心とは、感情とは、本当に、たぶん、何層にもなっている...と思いました。とてもとても奥が深いものに感じると、最近、そう思っていました。
自分の中の、感情に気づいていく事、
それは、スピリチュアル視点からは、宇宙の大きな流れの導きに感じ、私はその感覚も穏やかに信じています。
そして、リアルな人体の創りの不思議さ素晴らしさという視点から見ると、人の心身の構造上、1つの感情の層がめくれたら、自然とその次の感情の層が現れてくる、...そういう構造なのかもしれない、そういう仕組みなのかもしれない、と思いました。


昨夜から、何かまた、なんとなくモヤモヤしていて、でも、すぐには、そのモヤモヤが何なのかわからないのです。
わからない時は、無理には考えません。もう、そんな時はわからないままにしています。
音楽を聴きながら眠りにつき、夢は何かを見たように思いましたが、内容は覚えてはいませんでした。


今朝起きて、ボトルネックという言葉に出会いました。私の中の、ボトルネック...もう幾つも向き合ったように思いましたが、モヤモヤしているので、私の心の中に、まだ何かあるなぁ...と、思いました。まだ何かある、なんだろう...。
何が私の心の奥で、今の私の気持ちや行動に重く
制限のような感覚をかけてくるのか、
何がまだ残っているのか...と考えて、心の中の重いものを感じました。


私が父親から受けた事、虐待はもちろん到底容認は出来ませんが、当時父親のその行動は、宗教教義を信じた事により、子供(私や妹)の命を守るためだという父親の信念からの物で、悲しいかな間違ってはいたものの、そこに愛があったが故の行動とも言えます。
しかし母親からの言葉には、私はそこに愛を感じられなかった。
ここが、父親と母親への私の気持ちの差であり、違いだと思いました。


母親から言われた言葉で、心に傷を付けたもの、
いまだに癒えず、ずっと残っているもの、それが私に影響していると思いました。
記憶を辿ると、思い返されたものは、
「○○さん(私)はいつも自分の事しか考えないんだね」冷ややかに言われたその言葉。
これかもしれない、と思いました。


言われたのは、高校3年生の時。自分は宗教を辞めると決めて、両親に話した後、いくら怒られても説得されても、私が変わらない態度をとっていて、その頃に、母親に言われた言葉でした。
言われて、私は、え... ...?、と受け止めたものの、何も言いませんでした。
その後、自室で、私はいつも、自分の事しか、考えていない人間だったのかな... ...と考えました。
私は、いつも、自分の事しか、考えていない人間だったのかな... ...。
その時、わかりませんでした。
母親がそう言うのなら、私はそういう人間なのかな、と思いました。
そして、その当時、その頃、私は私の人生を生きると、決めた直後。
宗教を辞めて、両親と妹とは違う道を選んで生きていこうと決めて、そのように行動し始めた時だったので、
そうだよね、私は、自分の事しか考えていないんだな... と、そう思いました。
自分の事を考えて生きようとしている、だけど、
自分の事を考えて生きるのはいけない事なんだ、ダメな事なんだ... ...と、心の深い所に刻まれたような気がします。


自分の1度きりの人生 、
それまで幼い頃からやりたいと思った事が、いろいろ制限され、出来ないで育ってきた、でももう今からは後悔だけはしたくないからと思って、私は自分の人生を生きたいと思い、進路を決めました。母親からその言葉を言われた後も、その決めた進路に進もうという気持ちは、変わりませんでした。
だから、自分の決めた人生を生きるという事は、
私は、自分の事しか考えずに決めた人生を生きるという事。
そういう生き方、自分の事しか考えてない、ダメな選択、いけない選択、いけない人生、そういう、いけない生き方をする事なんだと、そこでそういうふうに、刷り込まれた。と思いました。
その後の生きづらさに、繋がったと思います。


そして、たぶん、母親からのその言葉、
いつも自分の事しか考えていない→ダメな生き方。
親戚や、近所の方々から言われていた言葉、
○○ちゃん(私)はここ(実家)を出ても、いずれこっちへ帰って家を継ぐ子だもんね→ そう出来ない→ ダメな生き方。
それぞれ違う立場から言われた言葉が、
それぞれ違うブロックを私の中で作る原因となって、(ブロックを作ったのは私)、私にくっついてしまった。
そして、私の場合、ブロックが作られた時期に、時間差があった事に、今気づきました。


作られたブロックを放置したまま、時間が経過し、そしてそのブロック同士が複雑に絡み合い、私の中で混乱が生じて、訳がわからない気持ちの時期がありました。
その頃、考えてもわからないため、考えないように自分を忙しくしたりして向き合う事から逃げ、逃げながら1人で悩むけれど解決はしない。
ずっと、私は、両親から見ても親戚の人から見ても、誰から見てもダメな生き方をしていると、思い込み、幾重かに重なった生きづらさで、息のしづらさを感じて生きていた... ...そう思いました。
ため息... ...というか、そういう事だったのか... ...と、いう、今です。


今だから、わかります。
その母親から言われた言葉を、あの頃、当時の私は、そういうふうに、受け取りました。
そして、自分の中の、幾つもの思い込みの中でも、強固な思い込みに、してしまったんだな、と思いました。


私が、当時、そんなふうに受け取るようになっていた、そういう受け取り方をしてしまうように育っていた、それは、その原因は、私が幼い頃からの両親の育て方の問題だ。と。
私を育てる時に虐待し、自由な伸び伸びとした気持ちが育つ事を押さえつけ、制限をかけ続け、守る事もせず、目の前の現実を見ずに、宗教活動を優先する事に逃げたからじゃないか!と、そうも、思いました。
本当にそうです。嘆き悲しむ、そう思う自分の気持ちを、もう、否定はしません。本当に、そう思うからです。
もしも違う育てられ方をしていたら、もしも基本的に、心からの愛情で温かく抱きしめられて、愛のある適正な制限の中で、褒められ肯定されて育てられていたら、
きっと、たぶん、同じ言葉を言われても、全く違う受け取り方をしていた、全く違う捉え方をしていただろうと思います。
育てられ方を嘆き悲しむ、その気持ちがある事も、
親を糾弾する気持ち、糾弾したい気持ちも、正直にあります。
その気持ちを感じる事も、本当に、当たり前の事です。当時、子供の自分では、どうする事も出来なかった事です。
親を許せない気持ちも、当たり前に感じていい事です。しっかり、その気持ちも感じて、認めて、そういう自分も本当の自分なので、本当に大事に大事にその自分を、その自分の気持ちを全部肯定して、涙が流れるなら止めないで流して、言葉に出して、自分の内側から吐き出して、その自分を自分で大事に守って、すべて大事に大事に受け入れながら、ゆっくり、その次へ行く事。そして、その次の気持ちを、落ち着いて感じる事。
なぜだか、今日は、そう思いました。
きっと今までの向き合いで、繰り返して来て、自分の本当の感情を感じて、気づいてきた事が、あったからだと思います。


本当に、気づきは幾つ、あるのかと、思います。
心の中に作られるブロックは、もしかしたら原因は些細な事や言葉で、それらとある環境・状況が合わさった時に、事や言葉が、強烈に力を増して、私や受け取り手に刺さり、長い期間、時には一生、影響力を残すのかもしれません。
自分で、受け取り、そう思い込んでしまうから、本当に、なかなかわからないし、気づけない。苦しい、生きづらさになってしまう、そう思いました。
心は何層にもなっている、
感情は何層にもなっている、そう実感しています。


私に、いつも自分の事しか考えないんだね、と言った母親。先述のように言った、親戚、ご近所の人。その言葉を受け取り、記述のような受け取り方をしたのは、私です。
そして、本当に生きづらく生きてきましたが、今になり、今日になって、上記の事に気づく事が出来ています。
今までの、過程は、きっと今この時期になり、今日また1つ、私が気づくためにあった物だと思います。
そう思うと、今までのすべての事、本当に辛かった事、嫌だった事、言われた言葉、自分が思い込んだ事もすべてが、今に繋がっている事。
今はまだ、私は、心の底から思えていないかもしれませんが、あの事があったから、今があると思うと、起きた事に、感謝しないとな... ...と思えて来ています。
起きた事、全てに、感謝... ...。
感謝しないといけない、という気持ちからではなく、私は本当に、本心から、心から湧き出る自然な感情で、感謝の気持ちを感じたいと思っています。
その感謝の気持ちを私が心の底から感じられた後、その先に、私がもう1つ、心から感じたい物があるのでは...、今、そう感じています。
正直...まだ、わかりません...。
もう少し時間をかけて、私は、急がず、丁寧に、
歩みたいと、今、そう思っています。


少し他人事みたいな表現ですが、感情って不思議で面白い、と、冷静に、真剣に、そう思っている私がいます。
今朝感じていたモヤモヤした感じは、今は、ほとんどありません。昨晩は何かを感じて泣いていましたが、今は泣きたい気持ちは消えています。
感情、その時の本当の気持ち、を感じて、向き合う事や、涙を流す事で、
感情は変化していくんだな...、癒えていくんだな...と、感じています。
感情は不思議です。とても奥が深いと感じています。


お読み頂き、ありがとうございました。




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