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自分の存在価値を知りたくて

noteに何度か書いていますが、去年の秋頃から働き始めました。

ゆくゆくはフルタイムにしたいけど、子供への影響と自分の負担が心配だったので、現状は週2~3日程度です。

働き始めた理由

どうしてこのタイミング(去年の秋)で働き始めたのか?
理由はいくつかあります。

・中1長男の中学受験が一段落した
・4月から約半年が経ち、子供達が新生活に慣れた
・夫がテレワークメインだった

その中でも一番大きかったのは、

・自分の存在価値を知りたい

という理由でした。

長男の中学受験終了後の生活

長男の中学受験に伴走していた3年間は、勉強をサポートする傍ら、フリーで片づけの仕事をしたり、在宅でライターをしたりしつつ、家事と長女次男の世話をいろいろしていて、毎日忙しく「早く1人の時間がほしい」「しばらくはゆっくりしたい」と思っていました。

2月に長男の受験が無事終了。その後は、肩の荷がドサッとおりた反動か、しばらくはボーッとしたりでのんびり過ごし、春以降は、家事と子供の世話に専念していました。長男の勉強サポートをする必要がなくなったので、日中にできた空き時間は、好きな文章を書いて過ごしていました。仕事ではなく、ネットで見つけた自分の書いてみたい思うテーマの公募に応募したり、おとりよせネットのモニターに応募したりしていました。

ちなみに、おとりよせネットというのは口コミを書くモニターサイト。HPに掲載されている全国の美味しいおとりよせの中で、自分が「食べたい!」と思うものに「どうして応募したか」と理由を書いて応募し、当選したら、送られてきたおとりよせを食べた口コミを書く、という流れです。報酬は発生しませんが、口コミを書くと無料でおいしいものを食べられる、というシステムです。

どういうふうに書くと当選しやすいか、いろいろ試して書くのが楽しくて、しばらくははまっていました。好きな文章を書くだけで、月に1~数回、美味しいおとりよせが食べられるので、楽しくて家族にも好評でした。プリン、ハンバーグ、チーズケーキ、スープ、パン…たくさん美味しいものを食べました。

好きな文章を書くことの他に、この時期の私の楽しみの1つは、夫とのおひるごはんでした。夫はほぼテレワークだったので、平日は2人で「今日は何たべる?」と話し、外食したり、テイクアウトしたり、自炊したりして、子供達のいない2人きりのごはんを楽しんでいました。

他にもパン作りをはじめたり、Youtubeをみて運動したりしていました。

表面上は充実していたけど

家事育児(という年齢でもないか)はしていたけど、それなりに好きなことをする時間もあったので、表面上は充実していました。

その一方、ある疑問がふつふつと沸いてきて、頭の中に浮かぶようになりました。

冒頭に書いた、

自分の存在価値ってなんだろう?

という疑問です。

家事はしているけど、料理は苦手だし、掃除も好きじゃない。裁縫も苦手、お菓子作りも下手。子育てを主に担当しているけど、理系科目は苦手だから教えられない。自分がやるよりも、家事も育児も他の誰かが担ったほうがよっぽどいいんじゃないか?自分って何のために生きてるのかな?

と、ふとした時に思うようになり、その頻度が増えていきました。

さすがに育児は親なので、他の誰かなんて現実的には無理ですが、私は子供達に教えてあげられることが、夫と比べるとほとんどないので、申し訳ない気持ちでした。

家庭の中だけで存在意義を得るのは難しい

客観的にみると、夫が外で稼いで、私が家のことして、それで生活がまわっています。どちらも欠かせない存在です。

それを知りながらも、自分の存在意義に疑問を感じてしまうのはなぜなんだろう?

私が得た結論は、自分の場合は、家族という閉じた世界の中で、存在意義を得るのは難しいということです。

私の家族は「ありがとう」と言い合うような関係ではありません。それも一因かもしれませんが、たとえ毎日のように家事育児に「いつもありがとう」と言われたとしても、存在意義を感じることは難しいだろうと感じました。

自分には、家族以外の「あなたってこんなことで役立ってるよ」と感じさせてくれる場所が必要だと感じるようになりました。

自分の価値を感じられる場所は仕事なのか?

働き始めて数カ月、自分は社会に役立っているという存在意義を感じられているか?

答えは、現時点ではYesでありNo。

いろいろ仕事を頼まれてそれを完結できると嬉しく感じます。家庭では得られない種類の嬉しさです。そういう点ではYes。ただ、まだ数カ月なのでできることと言ってもたかが知れています。できないこともまだまだたくさん。逆に存在意義を見失うようなミスもあったので、そういう点でNo。

今後、仕事を続けていき、よりできることの量も質も増えていけば、自分の存在意義を強く感じられるようになっていくのだろうか?

それは、今年の私のテーマの1つであり、興味の対象です。

存在意義を得る場所は人それぞれ

人によっては、仕事ばかりの人生で、退職後は家庭に居場所がなくなったということもあります。家でおいしいごはんを作って家族が嬉しそうに笑ってくれることが最上の喜びという人もいます。

自分って役立っているなと感じられる場所は、人によって違います。私の場合は、家庭以外の場所がもう1つ必要だと感じました。

人によっては1つでいいかもしれないし、9つあっても満足できない人もいるかもしれません。大事なことは「自分って存在していいんだ」と感じられることではないでしょうか。

もしかしたら、私の探し求めているものは「自己肯定感」なのかもしれません。昨今は、子供の「自己肯定感」を高めようと言われています。もし私の自己肯定感が高かったら、客観的にみたら恵まれた家庭の中で、これほど自分の存在の虚しさを感じることもなかったのかなと思います。

ただ、これは私が社会に出てから確信するようになったことですが、私の自己肯定感はものすごく低いのです。なぜだか分からないけど、いつも「私なんてうまくいくはずない」と頭の片隅で思っています。

家庭環境?もともとの性格?

理由は分かりません。考えても仕方ないことだし、分かりようもないことです。私にできることは、ただ、うじうじしていしまいそうな自分に自分で「今回は大丈夫じゃない?」「案外やれるかもよ」と自分を励ましながら、仕事をして「こんなに役立ってるよ」と感じること。

どこまでできるのか分かりませんが、今年はそれを頑張ってみます。


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