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「ま、なんとかなる」と思えることの価値

子どもを育てる立場にある人であれば、だれでも心の中に「こんな人に育ってほしい」という想いを持っているだろう。

当然のことながら、「こんな人」がどんな人かは、個人差があり絶対的な正解は存在しない。

私の場合は、コレ。

なにか想定外のトラブルがあったときに「ま、なんとかなる」と思える人

そういう人に育ってほしい。
そう思って3人を育ててきた。

人身事故でダイヤの乱れ、新幹線に間に合うか…!

今朝、長男を東京駅まで送っていった。
今日から始まる中学校の修学旅行の集合場所が東京駅だったからだ。北陸新幹線に乗っていくそうだ。

長男はスマホを持っていないし、通学以外は電車に乗ることもなく慣れていないので、私が集合場所まで一緒に行くことになった。

30分早く東京駅に着く予定で自宅を出発。最寄り駅についていきなりトラブルに見舞われた。

人身事故でダイヤの乱れ。それも、数十分などという生易しいものでなく、電光掲示板をみると1時間前の電車がまだ来ていない。

「次の列車は、隣の駅で出発の準備中」というアナウンスが流れてきたので、ホッと一息ついたのもつかの間、待てども待てども、次の列車はやってこない。アナウンスはずっと「出発準備中」のまま。

こりゃまずいと焦った私は、たまたまテレワークで自宅にいた夫にTEL。とりあえず横浜まで送ってもらい、そこから横須賀線で東京駅に向かった。集合時間に少しおくれてしまったが、バタバタしつつもなんとか集合場所に到着。学校側がかなり早めに集合時間を設定していたこともあり、新幹線にはじゅうぶん間に合う時間だった。

結果的には事なきを得たのだが、人身事故で当初の予定より+1時間弱くらい時間がかかってしまった。途中、表面的には必死で冷静を装っていたものの、私は内心かなり焦ってしまい「新幹線に乗れなかったらどうしよう」「JRも遅延していたらどうしよう」とドキドキして寿命が縮む思いだった。

一方、私と行動をともにしていた長男はというと、ふだん通り、もの静かで穏やかだった。

そうそう、そうだよ、こういうトラブルの時にいつも思い返すのだけれど、長男はそういう人なのだ。

「間に合わなかったらどうしよう!」「もっと早く家をでればよかった!」なんてことはまず言わないし、この先どうすればよいかという検討だけをシンプルにする。

中学受験時の乗り越しトラブル

以前、中学受験の(たしか)なにかの体験会の日、ボーッとした私が降りる駅に気付かずに乗り越してしまった時も「次の駅でおりて、どういうルートでいけば早いか検索しよう」と冷静に対応してくれたんだっけ。

あの時も、私を責めるでも焦るでもなく、ふだんどおりの物静かな長男だった。

想定外だらけの社会での「ま、なんとかなる」の価値

私はダメなところばかりの人間なので、親という立場ではあるものの、子供達に「すごいなぁ」と感心することが少なくない。

その一つがこの、トラブル時のいつもと変わらない「ま、なんとなかる」という余裕のある空気感だ。

長男だけでなく、3人の子供達はみんな(次男なんて小3なのに)、これを持ち合わせている。

夫が忙しい時、私+子供3人でなんどか旅行しているが、なにか想定外のことが起こった時、一番バタバタしているのは、何をかくそうこの私。

トラブルが起こった時、「ま、なんとかなる」と思えるのは強い。雑音に邪魔されず、冷静な判断が下せるからだ。

この変化のはげしい社会では、想定外のことは次々に起こってくれだろう。そんな時も「ま、なんとかなる」と、まずはメンタルを保てれば、落ち着いて考えられる。自分を含め、だれもなにも責めるでもなく、次は何をすればいいのかを考えられる。

あわよくば、既にアラフォーの私にも、そういう能力がみにつきますように。


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