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オリ・パラ組織委員会の森元会長の発言から端を発する、ジェンダー問題。ずっと以前からくすぶってきたトピックではありますが、近頃、特に注目を集めているなと思います。

ドラえもんで感じるモヤモヤ

かくいう私も、ジェンダーに限らず、「人は人」「みんな違ってみんないい」と一貫して思ってきた人間なので、いろいろ思うことがあります。いろいろ考えすぎて、近頃困っているのが、子供達と楽しく「ドラえもん」を観ることができなくなってきたこと。

昔から続くアニメなので、現代社会とずれた描写は多少は否めないなとは思いつつ、「しずかちゃんっていっつもスカートやなぁ」とか、「ママが料理してばかりやん」とか、「廊下に立たせる先生って問題やろ」とか、「ジャイアンっていじめなんちゃう?」とか、なんだかモヤモヤ思うことがたくさんでてきてしまうんですよね。

多くの子供がみるアニメだからこそ、もう少し現代社会にそった描写に変更してもいいのでは、と思う一方、そうすると、ドラえもんの世界観が変わってしまうのかな、とも思い、なんだか「うーん」となってしまいます。

個人的には、小さい頃にみるアニメの影響ってけっこうあると思うので、「思い込み」「すりこみ」を防ぐためにも、変更できるところは変更して行っていいと思うのですが。

担任の先生の問題

たとえば、のび太の担任の先生。のび太を1人で居残りさせたり、みんなの前で笑い者にして立たせて叱ったり、廊下に立たせたり、大声で怒鳴ったり、どれも教育者として間違った行為だと思います。でも、もし仮にこれを子供が「先生ってこういうものなんだ」と思って、実際にこれに近いことをされても、そのまま受け入れるようなことがあったら・・・と思うと、先生の描き方を変えていっていいのでは?とも思います。

のび太をクラスの前に立たたせて、笑い者にして、叱るのはよくないことなんだと。

小学生の頃の算数の授業

自分の頃を振り返ると、これと似たようなことがあって、とってもイヤな思いをしました。

小学校のときの担任の先生。算数の授業で、子供を全員立たせて、問題を解けた人からどんどん座っていき、全員座ったら、先生が問題の解説をするというもの。

最後の1人になったからといって、笑われるわけでも叱られるわけでもないのですが、それでも最後の1人、クラスのみんなに待たれながら、立ちながら算数の問題解くのなんて嫌ですよね?しかも、最後のほうの子供って、たいてい算数が苦手です。苦手な算数の問題を、立ちながら、クラスのみんなに待たれながら、静かな中で解くのって相当のプレッシャー。とても冷静に考えられるとは思えないし、算数の力がつくとも思えません。

私は算数が苦手だったので、この時間が恐怖で恐怖で、もともと嫌いだった算数がもっと嫌いになりました。

「できること」「すごいこと」で、子供をクラスの前に立たせて注目を集める行為はいいと思いますが、その反対の「できないこと」「だめなこと」でそれをするのは、子供の自尊心とプライドをかなり傷つける行為だと思います。

子供がみるアニメには、そういう描写はなくなってほしいと思うし、もしそういう人が登場するなら、「それって間違っている」っていう人が、アニメの中の登場人物にいてほしいと思います。

理想の世界ばかりを描くわけにもいかないんだけど…。

アニメやドラマの中って、案外、理想の先生っていないのかもしれないですね。金八先生も違う気がするし。といっても、ここ最近ドラマを観ていないのでよくわからないなぁ。知ってるなかだと漫画「二月の勝者」の黒木先生が一番好き。個人的には、子供と友達のように接する先生よりも、ドライで誰にでも公平に接する先生が好きです。



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