ニコタロー

1984年生まれ。大阪生まれ東京育ち。小学1年時、父親の転勤で東京・町田市へ。普段は標…

ニコタロー

1984年生まれ。大阪生まれ東京育ち。小学1年時、父親の転勤で東京・町田市へ。普段は標準語、家族や親戚の間では大阪弁。小学校2年から大学まで野球。旅好き。海外放浪一人旅やバイク旅など。現在は、2歳男児の育児に奮闘中。家族のこと、旅のこと、日常のことなど、ぼちぼち投稿しています。

マガジン

  • エッセイ

    日常のこと、家族や友人のことなど色々書いています。コンテスト参加作品なども。

  • バイクで日本を走る

    2005年夏のバイク一人旅から始まり、大学時代に後輩とバイクで駆け抜けた北海道ツーリングの話など。最近バイクで走った場所やバイクにまつわる話も含めて随時更新中。

  • 旅先や街歩きで撮った写真

    これまで国内外の旅先で撮った写真、街歩きで出会った風景や人などを投稿。短い文章も添えています。撮影時期、場所(国内や海外)はランダムに投稿予定です。撮影場所はハッシュタグにて。

  • 地元をぶらつく

    僕の地元である東京町田市や横浜市周辺に関する記事をまとめています。人気スポットから地元の人しか知らないような場所まで。

  • 世界をぶらつく

    2006年、大学を休学して世界放浪へ。一人旅。ヨーロッパ~北米~アジアを旅して帰国するまでの旅行記やエッセイなど。随時更新中。

最近の記事

  • 固定された記事

中学時代に知ったインターネットの未来

中学1年時のある日、同じクラスにアメリカから転入生がやって来た。といっても、純日本人の男子である。つまり帰国子女だった。 教室で本人の挨拶が終わると、窓際の一番後ろの席に座った。窓に射し込む日差しが、整髪料で潤った黒い髪をいっそう輝かせた。 そして何より、清潔感があった。白いポロのベストを着て、ネクタイもビシッと決まっている。僕にとって、”優等生”とはこの男のことかと思った。 実際、彼が本当に優等生だと分かるまで時間はかからなかった。 勉強もできる上にサッカーもやる。

    • アルバイトで失態を冒したあの日

      「外国をこの目で見てみたい」 大学時代、休学をして海外を旅したくなった。理由や目的は特になかった。 強いて言えば、その国や街に暮らす人たちの存在に興味があった。国内を初めて一人旅した時、旅先で出会う人たちが何よりも印象に残っていた。 海外の旅でも、きっとそこに面白い出会いがあるに違いない。 そんな夢を叶えるため、僕はガソリンスタンドで2年ほどアルバイトをしていた。 * 「オーライ!オーライ!ハイッ、結構です!」 「いらっしゃいませー!」 「キャップOK! ロッ

      • 祖母のルーツを辿った旅

        20歳の夏、僕は地元東京の町田からバイクに乗って旅に出た。 学生時代の夏休み、最終目的地は四国の徳島だった。 行きは陸路で気ままに走り、帰りは徳島からフェリーに乗って東京の有明港まで一気に戻ってくる。バイクの旅だけでなく、船旅まで味わえる。 富士山の麓に広がる朝霧高原、長野県や岐阜県の山々を越え、滋賀の大津からついに大阪の箕面に着いた。当時、箕面は親戚が住んでいた。僕の生まれた場所でもある。 その後、僕が箕面から徳島に向かった大きな理由があった。 * 父方の祖父母

        • マキネッタを使ってコーヒータイム

          もともとお酒は飲めない体質だが、コーヒーは毎日のように飲んでいる。 わが家にマキネッタという直火式エスプレッソマシンがある。 もともと妻の所有物で、一緒に住み始めた頃に初めてその存在を知った。 マキネッタは本場イタリアの家庭にはあって当たり前のような存在らしいが、僕が学生時代にイタリアを旅した時には全然気付かなかった。 その頃はもうコーヒーを飲んでいたが、コーヒーマシンなどに無頓着な僕ににはまったく引き寄せなかったらしい。 * いつもは大抵ハンドドリップでコーヒー

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        • エッセイ
          61本
        • バイクで日本を走る
          14本
        • 旅先や街歩きで撮った写真
          2本
        • 地元をぶらつく
          8本
        • 世界をぶらつく
          29本
        • 1999年 江ノ島チャリ旅
          5本

        記事

          完敗した夏の日

          放課後、ユニホームに着替えるとすぐ学校の外周を走り始めた。練習前のルーティンだった。 生徒たちが一斉に校門から飛び出していく。なかには自転車に2人乗りしながら楽しそうに下校するカップルの姿も見える。 高校3年最後の夏の大会が近づいていた春先の頃だった。 * 入学時は11人いた同期の部員も2年時の秋にはたった2人だけになっていた。 辞めてしまった理由は様々だ。 私立の強豪校でもなく、公立校の野球部で毎日野球漬けの日々になるなら高校生活をもっと自由に楽しみたい、という

          完敗した夏の日

          成長を見守る

          今月初め、庭に小さな花壇を作った。 スコップで土を掘り、そこにレンガを埋め込んでいく。囲いができたらホームセンターで買ってきた土を盛り、2種類の種を撒いた。 それから3~4日後、芽が出始めた。 小学生の頃に戻ったような気分だった。 理科の授業だったか、植物観察記のようなものを書いたことを思い出した。自分で種を撒いて植物を育てるなどその時以来ではないだろうか。 芽が出たことに心が洗われ、花壇作りはなんと楽しい作業だろうかと思った。手や足を動かすことは気分転換にもなって

          成長を見守る

          「竹藪やけた」の反対は?

          もう30年以上昔の話。僕が大阪に住んでいた頃の話だ。 当時僕は4歳か5歳くらいだろう。 今は家族や親戚と話す時以外は当たり前のように標準語で話をするが、この頃はいつでも大阪弁だった。 * その日、僕は母に連れられて友人の家に遊びに行っていた。 その母の友人には息子が一人いて、僕と同い年くらいだった。 後々僕の母から聞いた話だが、4歳頃からその子はすでに新聞を読み始めていたという。親は教師、かなり育ちの良い子だったと聞く。 正直、僕は一緒にその子と何をして遊んだの

          「竹藪やけた」の反対は?

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          それぞれの役割

          それぞれの役割

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          早朝から森で癒される

          今朝はいつもより早く目覚めたので家の近くを散歩した。 休日は息子を連れて散歩することが多いが、今朝は一人で。 自宅から数分歩くと川が流れており、橋を渡ると森がある。 僕にとって近所でお気に入りの”癒しスポット”だ。 この橋を渡ると町田市から相模原市に変わる。つまり、東京都と神奈川県の県境でもある。 川の名前も「境川」と呼ばれているが、かつての武蔵国と相模国の国境であったことが由来とされていて、町田市北西部の相原町を上流域として最終的には湘南・江の島(相模湾)に注がれ

          早朝から森で癒される

          「私には”恐竜(dinosaurs)”だわ」

          アメリカ・サンディエゴのユースホステルに滞在していた時の話だ。 夕食前、さほど広くないラウンジへ行くと若い青年たちが集まっていた。10人くらいはいただろうか。当時の僕と同じ大学生か、場合によっては高校生だったかもしれない。 やけに印象的だったのは彼らが大きな丸テーブルを囲むように座り、全員がそれぞれ自分のノートパソコンに熱中している姿だった。 「将来はIT企業に勤めます」 と、いかにも語り出しそうなインテリの雰囲気が漂う青年たちだった。 * 僕は彼らを横目に見なが

          「私には”恐竜(dinosaurs)”だわ」

          出航を見送る

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          波長が合う音

          静岡・伊豆半島の大部分は山に覆われている。 そのため内陸地を通るとなれば、峠道を走ることが常だ。 新緑の香りが漂う朝、僕は修善寺から戸田方面へバイクを走らせていた。清々しい風を浴びながら、全身に伝わってくる鼓動と音を楽しむ。 修善寺で泊まった宿では、女将さんと顔を合わすなりこう言われた。 「お兄さんのバイク、ハーレーでしょう? ハーレーはいい音するわよね!」 僕が宿の駐車場に入ってきた時、その音を聞いてすぐ分かったらしい。 「ハーレーはいい音がする」 女将さんの

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          ポートランドと日系アメリカ人

          シアトルから列車で3時間ほど南へ下ると、ポートランドという街がある。この移動でワシントン州からオレゴン州に変わる。 2006年冬、この街を一人でぶらついた。 当時はマリナーズでのイチローの活躍もあり、シアトルの街は知っていた。しかし、ポートランドという街は知らなかった。まして、この街がオレゴン州最大の都市だとは知るよしもない。 僕が日本に帰国した後、ポートランドはオレゴン州どころか全米で最も住みやすい街として急激にその人気や知名度を上げていくことになる。 * ポート

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          旅立ちの日に

          今月25日、双子の甥と姪が小学校を卒業した。 4月から2人が通う中学校は、町田市内にある僕の母校だ。 僕が中学を卒業したのがちょうど2000年3月。21年前の話である。僕の2人の兄も同じ中学校を卒業している。 21年という歳月にも驚くが、血の繋がった甥と姪が自分と同じ中学校に通うと思うと感慨深いものがある。 * 「おじちゃん、中学の卒業アルバム見せて!」 「わたしも見たい!」 先月、義姉と一緒に家に遊びに来た甥と姪が僕に言った。 自分たちが通う中学校ということ

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          アメリカの旅で金太郎

          アメリカ西海岸を一人旅していた時の話だ。 カナダのバンクーバーからアメリカのシアトルへ行き、そこからバスや鉄道を乗り継いでゆっくり南下する旅を続けていた。 その日は、ロサンゼルスからカリフォルニア州でもメキシコ国境にほど近いサンディエゴまで電車で向かっていた。 どこの駅かは忘れてしまったが、僕の隣の席に若い女の子が乗ってきた。やがて、僕が本を読んでいると隣から声を掛けてきた。 彼女はアマンダという女の子でカリフォルニア出身の現役大学生だった。大学では日本語を専攻してい

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          「12時間」と「自転車」で考える

          突然だが、ある大学の小論文試験で出題された過去問題を一問。 この試験の終了後、自由時間(12時間)と自転車を与えられたなら、どこを訪ねたいか。場所と理由を述べよ。   * 上の問題、以前図書館でたまたま借りた本の中で紹介されていた。 1934年に放送作家としてデビューし、小説家、劇作家でもある井上ひさしの『にほん語観察ノート』という本だ。 じつはこの本を読む前、井上ひさしの戯曲『父と暮らせば』を初めて読んだ。 『父と暮らせば』は、終戦直後の広島を舞台にした父と娘の

          「12時間」と「自転車」で考える