見出し画像

完敗した夏の日

放課後、ユニホームに着替えるとすぐ学校の外周を走り始めた。練習前のルーティンだった。

生徒たちが一斉に校門から飛び出していく。なかには自転車に2人乗りしながら楽しそうに下校するカップルの姿も見える。

高校3年最後の夏の大会が近づいていた春先の頃だった。

入学時は11人いた同期の部員も2年時の秋にはたった2人だけになっていた。

辞めてしまった理由は様々だ。

私立の強豪校でもなく、公立校の野球部で毎日野球漬けの日々になるなら高校生活をもっと自由に楽しみたい、というのが一番多かった理由だろう。

毎日朝練、年中坊主頭、アルバイトもできない。

タバコが見つかって停学処分になりそのまま退部となった奴もいた。1人辞めると、それにつられるように辞めていった。

いっそのこと、自分も辞めてしまうか。

そう考えたこともあった。

でも、辞めるのは簡単だと思った。

小学生から続けてきた野球。

野球をするのが楽しかったし、高校でも続けたくて入部を決めた。

何より、自分自身が最後に悔いが残らないようにしたいと思った。

それに、同期で野球部を辞めそうにない奴がいた。

タケルだ。

体格もいいしパワーもある。肩も強いから4番でキャッチャーだ。

2年時の冬休み、練習後の更衣室でさりげなく聞いた。

「なータケル、お前は野球部続けるんだろ?」

「おう!俺は続ける! もちろんお前もだろ?まさか辞めるわけないよな?」

「えっ、おぅ!まぁな!」

「じゃ、キャプテン頼むぞ」

「はっ、俺が! どう考えてもタケルの方がキャプテンに向いてるだろ! 」

「俺はキャプテンには向いてない。お前の方が絶対向いてる。頼むぞ!」

(また俺がキャプテンか…)

中学3年の時、地域の少年野球チームで主将を任された。しかし、自分が主将に相応しいとはまったく思わなかった。自分より実力も精神力も高く、統率力がある奴は他にもいたからだ。

それでも当時の監督が自分を主将に指名した。

どうして自分なのか、その理由を聞いた。

「お前はメンバーからの人望がある。もっと自分に自信を持て。主将は実力があるだけじゃ任せられないものだぞ」

その言葉がずっと胸に残り続けていた。

(よし、やってみるか)

3年部員は2人だけだが、後輩たちを含めれば総勢30名弱のチームになる。

こうして僕とタケルは、最後の夏の大会に挑んだ。

6月、渋谷で東・西東京大会の抽選会が行われる。

僕とタケル、そして後輩の女子マネージャー3人で会場に向かった。

主将は会場のステージでくじを引き、皆の前で高校名と番号を伝える。自分の番が回ってきた。手に取った番号を読み上げる。

「2番、都立T高校です」

2番が何を意味するか。つまり、1番の次。1番といえば、第一シードと呼ばれて前大会の優勝校など強豪校が名を連ねる。

3番を引いたのは地元のY高校に決まった。つまり、初戦の相手になる。練習試合でも対戦したことが何度かある高校で、過去の戦歴からみても勝ち目は十分にあった。

しかし、勝ち進んだ後の対戦相手といえば、西東京大会はおろか夏の甲子園大会でも優勝経験が何度もある強豪W高校ということに決まったわけだ。

「先輩たちに続いて、いいくじ運だな! 」

会場の席に戻ると、皮肉を込めてタケルが僕に言った。

いよいよ最後の夏の地方大会が始まった。

初戦は接戦になりながらも、終盤に勝ち越して勝利を飾った。地元の高校だったし、練習試合で負けたことがない相手には負けたくない意地もあった。

数日後、試合会場となった八王子市民球場にやってきた。

「相手は強豪だけど、自分たちがやれることをやり切ろう!」

試合直前、円陣になって僕は声を掛けた。

「プレイボール!」

相手側のスタンドには応援団やチアガールをはじめ、応援にかけつけた生徒たちでほぼ満員だ。

相手の攻撃時、僕は相手高校の応援席に近いセカンドのポジションを守っていた。初戦に比べて球場全体が熱かった。吹奏楽部の応援曲が球場に響き渡る。初戦とはまるで雰囲気が違った。

そんな雰囲気に飲まれるようにして序盤から相手の猛攻に押される。味方の攻撃は2安打のみに抑えられ、チャンスを作ることさえできない。

4番でキャッチャーを務めるタケルもこの試合は無安打に終わった。2番の僕は、持ち味の俊足を生かしてセフティーバントで塁に出ようと試みるが、三塁手の俊敏な守備に阻まれた。

全てにおいて圧倒的な差があった。打撃力、守備力、機動力。

選手個々の体格や技術面、この大会までに積み重ねてきた練習量や質が違うことを思い知らされた。

それでも、チームの雰囲気は決して悪くなかった。

唯一、この試合で相手に負けていなかったものがあるとすれば、ベンチにいる選手たちの雰囲気だ。

笑顔があった。ベンチ入りの選手も全員身を乗り出して声を出していた。

5回裏、2アウト2,3塁。この時点で「9-0」と大幅にリードされていた。

あと1点でも点が入れば規定上ゲームセットとなる。5回コールド試合だ。

僕はタイムを掛け、ピッチャーマウンドに内野手たちを集めた。

「超絶ピンチだけど、ここは打たせて取ろうぜ!」

「よし、気楽にいこう!」

「ワイルドピッチ(暴投)だけは勘弁してくれよ!」

「思いっきり投げます!」

互いに声を掛け合い、僕は2年生ピッチャーの肩を叩いて守備に戻った。

試合は再開され、ピッチャーがセットポジションから1球投げ込んだ。


「カキーーン!」


金属バッドから痛烈な打球音が響いた。右中間方向へボールが飛んでいく。僕は空を見上げて振り返る。外野手が必死にボールを追いかける。

打球は無念にもレフトとライトの間に落ち、フェンス際まで抜けていった。

試合が終わった。そして、高校最後の夏が終わった。

試合後、選手たちに涙はなかった。

タケルはどこか満足感のある表情をしていた。

ベンチを後にして、球場の外で応援に駆けつけてくれた人たちに挨拶をした後、僕はタケルの所に歩み寄った。

「タケル、ありがとな! お前がいなかったら辞めてたかもしれない」

「それは俺も同じだよ。お前がいなかったら辞めてたな」

「えっ、そうなのかよ! 一人でも全然続けそうな感じだったろ!」

「演技だよ演技! さすがに3年が1人だけじゃ寂しいよ!」

「やられた!」

「まぁともかく、キャプテンお疲れさん。サンキュー!」

しばらくすると、2年生の選手の一人が言った。

「先輩たちを胴上げしよう!」

先輩たちといっても、タケルと僕の2人だけだ。

後輩たちに囲まれてタケルが先に胴上げされた。その後、僕も胴上げされた。

数回、自分の体が宙に舞い上がった。不思議な感覚だった。

タケル、胴上げってこんなに気持ちいいんだな。

ボロ負けして胴上げってあまり聞いたことないよな。

試合は見事な完敗だった。それでも気分は清々しかった。

あの時、自分の選択はやっぱり間違っていなかったと思えたから。

大好き野球を続けたこと。素直に自分の気持ちに従ったこと。

そして何より、タケルと一緒に野球を続けることができて良かった。

途中で辞めていたら、きっとこの小さな感動も味わえなかっただろうから。

***

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?