Tokihisa

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最近の記事

訓練による達成感は技術の習得を阻害する

私は訓練による達成感を好んでしまう。それは訓練のメニューをクリアしたとか、練習をこれだけやったとかそういったものだ。だが多くの場面において問題となるのは練習量ではなく練習によって身に着けた技術をその場で利用することでしかない。 身に着けたとおもっていることを使うことが自分の苦手なことだ。訓練の中でその訓練に沿った動きしかできなくなってしまう。訓練による達成感や技術書を読み込むことは技術を外部に適用する際の阻害要因となる。 提案 同じ技術の練習を繰り返さないことが肝要ではな

    • リモセン

      GIS系の仕事をぶらぶら探していると大抵GISの他に衛星画像データの分析が多いと感じる。大抵の衛星画像データはそこら辺に転がっているので、取得すること自体は簡単だ。tif画像になっているものを適当にいじればよろしい。 作業としてデータを集めて、立式して評価をすることは正直トレーニングをしてきたといえばそう。一方で仮説と問いをたてるということはまだまだな部分が多い。 なので結局やることは変わらない。問いを立てるトレーニングをして仕舞えばいいということで。適当に問いを考えてみ

      • 降伏

        8/15を過ぎてすでに時間が経っているが、8/15は終戦ではない。降伏した日であることは共通認識であると思う。上手く言い換えれば日本が外国でした所業をなくせるということはなかろう。 日本語はそれ自体の巧みさを使うと「自分は間違いを犯した、しかし〇〇といった部分では間違っていなかった」の言い換えをして、自分は間違いを犯したという部分をなくし、間違っていなかったを強調できる。事実としてあったことを言葉に出さないことで、空気として保っておけて、どっかに散らしてしまえるまで待ってい

        • 天井にぶら下げる

          大阪から実家に戻ってきて4畳半に住んでいるのだが、なんとなしにうつが改善してきた頃に部屋の改造を少しずつやってみた時期がある。部屋の改造といっても天井に何か吊るして見たり、棚を作って壁に打ちつけてみたりぐらいだ。 以前学生時代に部屋を自分の好きなように変えていいと言われてきたのだが、実はその意味がよくわかっていなかった。正直なところ、部屋を好きなようにしても自分の心地よい状態を作ることはできないなと思っていたのだ。 果たして今となっては自分の部屋をどうにか変えてみてそれが

        訓練による達成感は技術の習得を阻害する

          会話怖い

          やっぱりね。まだ初めてのひとと会話するのが怖いんですよ。会話の中に入っていくことが怖くて、何もできないままなんですよね。 実際には少しずつ安全装置を取り外していって、片足ずつならしていかないといけないとは思っている。でも一人でやっている方が気楽になってしまってそれでさらに自滅的な考えになってしまうのが現状。 何からできるか考えてみた。会話の練習用に人が多そうなゲームを始めてみる。会話のはじめかたと終わり方がよくわからない。もう行かなきゃ!とかもなんか言えないんですよね。

          きんつば

          きんつばのあんこの甘く無さが好きだ。あんこの塊なのに焼けるような甘さではないし、ある種カロリーメイト的な感じがあって好きだ。同種にようかんもある、あちらもおいしいのだがあちらはより純粋にあんこを感じてしまう。 きんつばの純粋なあんこじゃない感じっていいですよね。ようかんは研ぎ澄まされたあんこといった様子できんつばはあんこを食べやすくするために固めました!って感じがする。あんこの結晶とガラスの違い的な。ようかんは深成岩できんつばは火山岩的な。 おれはきんつばがすきだよ。

          拡散

          できないことばかりが目の前にうかんで、できるようになったことは忘れてしまって風景と化している。文章を書くのは数年まえに一度やめて、今またやり直しているところであるが、自分の頭の中のことを書けないでもやもやしているし、それとも自分がなにも考えて居ないのではないかと恐れをしている。とりあえずは別に構成を考えずに好きなことを書いてみるというのも悪くはない。箇条書きにして書いてしまうと何を書いているのか忘れてしまうので整理ができない気がする。 数日前の夜にランニングしているとき、カ

          最後まで考えてみよう

          今どう捉えればいいのかわからないことがある。双方の言い分を理解できていない。よくわからないものをわからないままにしておくと、後で大きく足を掬われることがよくあるので放置はできない。 対岸の火事を見ている気分になっている自分を責め立てている。本来であれば双方の主張を見て、吟味しどちらかの主張に賛成を出す。ということをする場面だ。それができない程度には疲れているということがあるのかもしれない。 ぼんやりとしたものの外観を捉えるということができない。それをするには時間がないとい

          最後まで考えてみよう

           ぼんやりのはざま

          前にnoteを書いたのがいつになるのか覚えていない。だらだらと過ごす時間は振り返るのにいい時間だったかもしれない。転職をしてから前の職場のことを思い出したり、自分の体調を顧みたりしていた。差別の絶えない構造の国の真ん中よりちょい上程度にいる自分に負い目を感じて生きていた。なんというか自分の負い目を見つけて責め続けることに関しては天才的かもしれない。よく今生きてると思う。 そのことに対して気にしないことや割り切って構造に甘んじるということもできない。結果週末には一人で地方の駅

           ぼんやりのはざま

          本を読み切る体験

          本を読み切ったときにその内容のほとんどは頭に入っていない。今回読んだのはカント入門であり、とても面白いという記憶は残っている。 この原因は何かというと自分の考えや当時の時代背景、ほかの哲学者の考えと比較ができないからこうなっているのであり、頭にはいっていないというわけではない。そこから発展をさせることができなかったというだけだ。今回の読書により、美と崇高の関係性にカントが言及していることはわかったことが収穫といってもいい。 とりあえずは読み終わったという体験が大切だ。比較

          本を読み切る体験

          何をしたいのか

          迷走、迷走、迷走、迷走 技だけを磨いてもそれを何につかうのか、知識だけを得てもそれを何につかうのか。戦術もそう戦略もそう。 一段階後にやりたいことがあると考えてしまうことが焦りを感じているということだろう。もう少し大きな方向でやりたいことを考えればそこに至るための道が見えてくるのかもしれない。 現在の問題は大きな部分でやりたいことを考えていないことだ。 こういう世界に生きたいという視点をもっていけばよいのだけどそれが難しい。

          何をしたいのか

          言語について

          最近実感したことに言語というのはコミュニケーションがなければ必要ないことである。思考に近似してモデルを提示していくことが言語の構造であるようであり、意味を言語で見えるようにするという方法をとることが多い。 ところで言語によって意味を作ろうとするにはどうすればいいのか。現在は意味が前にあり言葉が後にある。これを逆転させて話すことができれば面白い技術になりそう。 方法を考えよう

          言語について

          塞翁が馬?

          デートの約束に待ちぼうけた。今日来ないであろうことは絶対にわかっていただろうに。あちらから約束をしてきたのに何の音沙汰もなし。仕方がないので散財に行った。 日本橋はいかがわしい店と電子機器の店しかないと思っていたが、結構呉服屋が残っているようです。天神橋筋とはまた違った呉服屋の数々をみることができました。特に今日手に入れた絹の長襦袢はいい。サイズも絵柄もおじさんが慰めながら売り文句を言ってきた。4500円。呉服屋の悪いところは一度捕まると抜け出せないところだ。ウィンドウショ

          塞翁が馬?

          明日は休み

          平日も続くと思考が停止してくる。特に残業が続いてくると。 精神を安定させるために軸をしっかりたてながら仕事をすると仕事のほうに軸が寄ってしまう。生活を彩るようなことを考えることを放棄してしまうのに今気づく。 調子のいいときのふらふらとしている自分が一番好きなのか、心の乱高下が激しい。休日、今、明日、どうする。

          明日は休み

          コントロール

          入社して仕事をするうちに他者にコントロールされているというのを感じるようになった。 意拳をする人が言っていたことの一つに他者の力に対抗しようとして自分の重心が定まらなくなり結果的に身体のコントロールを受け渡してしまうらしい。まさにその状態になっている。 他者からの評価に依存している状態だ。自分の仕事をするうえで意味のないものとして他者からの誉め言葉、指摘を考えよう。重心をぶらすようなものはすべて地面に流すようにする。他者からのコントロールを受けないためにも自分のコントロー

          コントロール

          続けること

          調子のいいと思っている日に意識が散漫になっていることは自覚している。その日は浮かれて続けていたことに手を出すことがなく、新しいものに手を出したくなる。新しいことがビジュアルで目にはいってくるからなのでしょうか。意識を散漫にさせる原因はつかめていない。 続けるモチベーションをどう身に着けるかは重要でいろんな本にモチベーションを保つ方法は書かれているし、noteのように続いた日を表示するというだけでもやった気分になるということだ。それこそやらずに自罰になるのだとしたら続けてその

          続けること