降伏

8/15を過ぎてすでに時間が経っているが、8/15は終戦ではない。降伏した日であることは共通認識であると思う。上手く言い換えれば日本が外国でした所業をなくせるということはなかろう。

日本語はそれ自体の巧みさを使うと「自分は間違いを犯した、しかし〇〇といった部分では間違っていなかった」の言い換えをして、自分は間違いを犯したという部分をなくし、間違っていなかったを強調できる。事実としてあったことを言葉に出さないことで、空気として保っておけて、どっかに散らしてしまえるまで待っていられてしまう。

この雲散霧消を待つという態度は問題を緩く、解くという自分の問題にゆっくり取り組む場合には良い態度かもしれない。職人的に物事を身につけるにあたっては時間がかかるものだから、問題を解決せずに保っておくということは一つの解決策だ。

この問題が自分が引き起こし、他者を巻き込んだものだった場合はどうだろうか、当然雲散霧消を待つということは相手が問題だと考えることを無視することだ。日本の戦争や公害に対する態度はこのようなものが多い。他者に対して自分が引き起こした問題を解決するという責任を果たす能力を発揮しない。

私たちは問題を問題として受け止める、事実を事実として受け止める。そのために一度、うまい言い換えをしてやろう。大喜利をしてやろうという態度を改める方がいいと私は思う。

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