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祖母の94年史①:田舎の実家と大家族(0~6歳)

岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。
今回は初回、実家と家族の思い出(1926-1932年)です。広い土地に大家族が住む、大正の田舎の暮らし。明治時代すらすぐ近くに感じました。

1.大正15年、大家族に生まれる

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1926年の12月のとある日。あと1週間で昭和元年、あと2週間で昭和2年というとき。
日本のとある地方で、山田家の藤次郎さん(42)と貴子さん(?)の間に、7人姉妹兄弟の末っ子、晴子さんとして生まれます。

ー名前は、もともと晴子やなかった。父は、「雪子にする」と言ってござったんやと。そしたらいよいよお産の日になってね、午前十時頃に生まれたのかな。ほしたら父が「まあ晴れた日に生まれたで、晴子にする」と急に変えやしたんよ。後から、なんでもウチのことをよう知っとる従妹に聞いたの。
 
 まあ、晴子の方が似合っとったね。私は色白でもないし、「雪子」のようなおとなしい感じでもないからねえ。

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図:父・藤次郎と、母・貴子と(当時6歳/1932年)

ーきょうだいは一番上の姉は13個上から、すぐ一個上の姉まで、私もあわせて全部で7人もおったねえ。
 女のきょうだいばっかり。「皆男やったら、3人くらい兵隊に行っとったわ」と父が言っとったね。すぐ上の姉はようウチにも遊びに来てくれとったけど、もう私以外、誰も生きとらへん。

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図:自分の祖母、姉、姪、甥と。
本人の晴子さんは、真ん中のおかっぱの少女。

ー父は1886年/明治19年(※1)生まれだけど、よく考えたら、父と母の誕生日なんて知らんがね。そりゃ命日は知っとるよ。けど、昔は誕生日っていっても何にもせえへんで、聞きもせえへなんだね。お祝いもせえへなんだからね。
 そういや、父の年齢はわかるけど、母の年齢は知らんなあ…

※1「1886年/明治19年」石川啄木、谷崎潤一郎などの生まれた年。3年前の1883年には鹿鳴館が出来、3年後の1889年には大日本帝国憲法が発布されたような時代。

2.実家の思い出

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ー田舎のバラ家に住んどったよ。小さな地主で製糸工場(※2)をやっとったんや。うちに70人くらい女工さんがおったな。山田家のおじいさんは士族の生まれで、次男だったらしいな。財産をもらって製糸工場を建てたらしいんや。
 父が後を継いで、経済が不況(※3)になって途中で工場がつぶれて、生活のために鶏を買っとった。50羽くらいおって、養鶏場をやっとったよ。家で飼っとったもんだから、今でもかしわ(鶏肉)は苦手だね。

※2「製糸工場」製糸業は明治政府の殖産興業の主力として振興され、明治期から昭和初期まで、生糸と絹製品は、日本の重要産業であった。
※3「経済が不況」1930-1931年の昭和恐慌のことか。緊縮政策で、国内経済は深刻なデフレに陥った。また、1933年の蚕糸恐慌では、生糸価格が暴落した。

ー何をやっとってうちの生計が持ったか?食べる物は全部つくっとったからね。田畑があって、小作人に作ってもらっとったし、畑はお父さんが一生懸命百姓をしとったし。
 卵もぎょうさん売れたよ。毎日バケツにいっぱいになりよったから、それを売っとった。

 あとは藪があったで、タケノコもとれたしね。米も余分に出来るで、それを市に出しとったらしい。
 果物はなんでもあったでね。イチジクでも、大きな木が3本くらいあったで、大きな竹籠の中にイチジクがいっぱいちぎってあって、それをおやつに食べとった。

ー家には猫が何匹でもおったよ。田舎はネズミがおるで、猫飼っとかんと、ネズミが部屋に入ってくるで。猫のほうもだんだん慣れてきて、ネズミを加えて私らに見せに来るんや。褒めてほしかったんやろね。

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図:出征前の兄(後に帰還)。実家の写真は一枚も残っていなかった。

3.世界はこの頃(1926~1932年)

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同級生には・・・
マリリン・モンロー、江沢民、フーコーらが同年1926年生まれ。
他にも、前年生だと、サッチャー、ケネディ、三島由紀夫、マルコム・X、ポル・ポト、マハティールなど。
世界情勢は・・・
第一次世界大戦を受けたヴェルサイユ体制、ワシントン体制のもと、1930年代半ばまで戦間期の国際秩序が維持される。1929年に大恐慌が発生し、ニューディール政策など大きな政府の方向に。

国内では、戦後恐慌をはじめとし、関東大震災(1923年)、昭和金融恐慌(1927年)など経済苦境がつづいた。一方、都市部では大正デモクラシーにより、普通選挙法(1925年)が成立。1926年には、大正天皇崩御。
どんな文化?
ルイ・アームストロング(ジャズ)、チャップリン『黄金狂時代』、ヘミングウェイ『日はまた昇る』、ハイデガー『存在と時間』、川端康成『伊豆の踊子』など

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(人物名や地名は仮のものです)

次回は、7~12歳:尋常小学校と夏休み(昭和8~13)を投稿します。
写真はほぼ残っていませんが、話を聞いていて夏の色鮮やかな田舎の景色が、目に浮かびます。

※次回の記事はこちらから↓

※はじめの説明はこちらから↓



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