おばあちゃんと孫の共同プロジェクト

大正15年/1926年生まれの岐阜弁おばあちゃんが、94年間の歴史を振り返ります。語り…

おばあちゃんと孫の共同プロジェクト

大正15年/1926年生まれの岐阜弁おばあちゃんが、94年間の歴史を振り返ります。語りは祖母@岐阜、編集・投稿は孫@アメリカの共同作業。トップ画は19歳(1945年)のときの写真です。毎週2~3話に投稿していきます。

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うちの祖母の94年史 ーおばあちゃんと孫の共同作業

1.このノートについて はじめまして。 このnoteでは、うちの祖母の話をします。 祖母は、今年で94歳になります。足腰は弱っているものの、まだまだ元気です。祖父は数年前に亡くなり、現在は息子夫婦と暮らしています。 そんな祖母が今年スマホをゲットし、母に教えてもらってLINEが出来るようになりました。 祖母は日本の地方、孫の私はアメリカにいますが、これによってLINE通話で顔を見て電話できるようになりました。この年になって、本当にたいしたもんです。 図:祖母と私と妹

    • 祖母の94年史⑨:30代の専業主婦生活・前編(34-39歳)

      岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 第9回目、30代の専業主婦生活(1960-1966年/34-39歳)です。長いので前後編に分けます。 教員を辞めて、じっと主婦をせず、自分で布を仕入れてきてはぎれ屋を始めた、というのは今回話を聞いて初めて知りました。アクティブ! おじいちゃんの1か月の米国出張の話は、ちょっと胸キュンです。 1.専業主婦生活の始まり ー孝くん(長男)が5つ、靖くん(次男)が3つのとき33歳で教員を辞めて、それからは主婦をやっ

      • 祖母の94年史⑧:仕事と主婦と育児の両立は大変(29-33歳)

        岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 第8回目、共働きと育児両立に迫られた主婦時代(1955-1959年/29-33歳)です。昔は全自動洗濯機もルンバも電子レンジも無い。本当に大変だったそうです。 1.子供の名付け ー28歳で結婚して、29歳のとき孝くん(長男)、31歳で靖くん(次男)が生まれた。  誰が名前決めたか?私やよ。私と碧さん(義母)とで決めたの。学校におった時に、「孝」言う子がよう出来て、良い名前だなあと思ったの。碧さんが神様を信仰

        • 祖母の94年史⑦:親の反対を乗り越え結婚(28歳)

          岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 第7回目、お父さんの反対を乗り越えての結婚(1954年/28歳)です。私が小さいとき、祖母からは、このエピソードをよく聞きました笑。 1.晩婚のワケ ーおじいちゃんとは、28歳で結婚したよ。当時にしては相当晩婚だね。みんな21、22で結婚しとったかね。  娘が遅くまで結婚しとらなんでも、父も何にも言わへんかったよ。その頃、実家は女ばっかりだったで、姉たちもつまって来とった。戦時中で、結婚しようと思うと、若い

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        うちの祖母の94年史 ーおばあちゃんと孫の共同作業

          祖母の94年史⑥:おじいちゃんとの恋人時代(22-27歳)

          岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 今回は第6回目、おじいちゃんとの出会いと恋人時代(1948-1953年/22-27歳)です。祖父は、インテリで寡黙な感じの優しいおじいさんでしたが、70年前の恋人時代、甘酸っぱいです。 1.おじいちゃんとの出会い ー私が中学校に来てから、1年ほど経って、おじいちゃんが赴任してきた。戦争が終わった22、3年くらいやろね。終戦後にばーっと中学が出来たやっちゃで、私より1個か2個下の若い男の先生が、岐阜高専を出て

          祖母の94年史⑥:おじいちゃんとの恋人時代(22-27歳)

          祖母の94年史⑤:田舎から見た終戦(20-21歳)

          岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 今回は第5回、20-21歳の戦争が終わるとき(1945-1946年/20-21歳)です。 岐阜の田舎に住んでいた祖母の視点からみた戦争です。 1.実家へ戻る転機 ー青年学校では、しっかり裁縫を教えとったけど、富岡には1年おっただけやった。わたしが金曜日に実家に帰って、月曜日の朝はよ、学校のほうに戻っていくやろ。悲して涙こらえて帰っとった。  父が、私を哀れに思ったのかね。地元の有力者のところに行って、「娘が

          祖母の94年史⑤:田舎から見た終戦(20-21歳)

          祖母の94年史④:はじめての下宿生活(19歳)

          岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 今回は第4回目、19歳のはじめての一人暮らし(1945年/19歳)です。 祖母はよくこのときの話をします。当時の写真が残っていませんが、大きなお屋敷に家族と離れてひとり、さびしかったんだなと思いました。 1.青年学校への就職 ー竹花というところに、新しい中学校が出来たんやけど、養成所を卒業して、19歳で青年学校(※1)に就職した。教員臨時養成所は、私らの世代でおしまいになったね。 ※1「青年学校」義務教育

          祖母の94年史④:はじめての下宿生活(19歳)

          祖母の94年史③:女学校と戦争の足音(13-18歳)

          岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 今回は第3回目、女学校時代(1939-1944年/13-18歳)です。田舎には、戦争の足音も幾分か遠かったようですが、戦争が祖母のその後の道にも影響を与えます。 1.女学校へ進級 ー当時は、小学校で6年生になったら 、半分は高等科 に行っとった。それか女学校 に行くか、それか就職した子もおったね。どっかへ奉公に行きよったんやろうねえ。  女学校に行くのは、クラス45人のうち5、6人だったかね(※1) 。うん

          祖母の94年史③:女学校と戦争の足音(13-18歳)

          祖母の94年史② 尋常小学校と夏休み(7~12歳)

          岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 今回は第2回目、尋常小学生時代(1933-1938年/7-12歳)です。写真はほぼ残っていませんが、話を聞いていて夏の色鮮やかな田舎の景色が、目に浮かぶようでした。 1.父母の思い出 ー母とは、あんまり話したことがない。働き詰めで忙しかった。よう面倒は見てくれたけど、落ち着いとる暇がなかった。子供のころ、火鉢のところで餅や魚を焼いたときに、一緒に座って話するくらい。大人になってからも話しとらへなんだね。詳し

          祖母の94年史② 尋常小学校と夏休み(7~12歳)

          祖母の94年史①:田舎の実家と大家族(0~6歳)

          岐阜弁おばあちゃんが、大正15年から94年間を振り返るシリーズ。 今回は初回、実家と家族の思い出(1926-1932年)です。広い土地に大家族が住む、大正の田舎の暮らし。明治時代すらすぐ近くに感じました。 1.大正15年、大家族に生まれる 1926年の12月のとある日。あと1週間で昭和元年、あと2週間で昭和2年というとき。 日本のとある地方で、山田家の藤次郎さん(42)と貴子さん(?)の間に、7人姉妹兄弟の末っ子、晴子さんとして生まれます。 ー名前は、もともと晴子やなか

          祖母の94年史①:田舎の実家と大家族(0~6歳)