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変わらぬ日々、変えられない日々

いつものように始まる月曜日、いつものように始まる一週間、いつものように終わる平日、束の間の週末、そしてまたいつものように…と繰り返される日常。気が付けば今年も残り3か月を切り、いつのまにか年齢を1歳重ねていて…「目に見える変化」のないまま同じことを繰り返しているだけの日々がこれからも続いてくことが予想できるのなら(「これまでがそうだったのだから、これから先もそれは続いていくもの」という考え)「戦ってみればいい」「自分の意志で動いてみればいい」だけのこと。考え方がポジティブになるだろう。考え方がポジティブになれば「目に見える変化」も出て来るだろう。それもまた予想できることだけれど「年齢」と「継続してきてしまったこと(当たり前にしてはいけないことを当たり前にしてしまったこと)」が自分の首を絞めているような気がする。

公言しないだけであって、人間って大概そんなもんじゃないかって思うけれど。でも、多分、それは私個人の独りよがりな考え方で、自分自身に対する言い訳なのかもしれない。

自分の目の前で起きていることや自分自身がこんな考え方を持ってしまうことは「谷間や中間点で生きてきた人生だった」ことの代償なのだろうか。「継続した繋がり」がなく「繋がりがあるはずの場所で繋がり」がないまま「惑わず」の年齢を超えてしまったことの。「繋がり」を実感できない「繋がり」を持つ行為に参加していない(下ネタじゃないです)からこんなことを考えてしまっているのだろうか。「…しまっているのだろうか?」いや「…しまっている」と思う。「繋がり」を持っていれば「繋がり」を持つ行為に参加していれば(下ネタではない)「人との交わり」(だから…下ネタではない)を感じ「安心感」を得ることができるだろうからこんなことも考えることはなかっただろう。考え方というか、今ほどの状態にはなっていなかったと思う。

自然と「谷間や中間点に立つ」ことを求められ続けてきた人生だったような気がする。求められてそうなったことがあれば、そうならざるを得なかったこともあれば、自らそうしていったこともある。自らそうしていったこともあるのは「逃げている」だけだったのかもしれないけれど。「『谷間や中間点』に自分が生きることのできる場所を見出してきた。そこにしか生きることのできる場所がなかった」からなのか「自分がいた環境の中においてはそうならざるを得なかった。そうなることを求められ続けてきた」からなのか。構造的不遇とはこうした状態のことを指しているのではないかと思う。この状態では自分自身の努力だけではどうすることもできない壁が立ちはだかり続けているでしょう。公助や共助は求め難いだけじゃない、公助や共助を求めることはできません。

構造的不遇の中では公助や共助を求めることはできないと思います。それが現実でそんな環境の中で起きている現実ってやつじゃないでしょうか。これもまた「そんなもんだ」とは思いますが、その「そんなもんだ」のお蔭で苦しんでいる「声なき声」の民としてはやるせないです。

「助けを求めてみればいい」と言われるかもしれませんが、構造的不遇の環境においてそれはその場所から踏み出しかねない行為だっていう疑心があるから「助けを求められない」し「話すこともできない」ことに繋がっているってことは…理解してもらえないことは実体験として痛感しているので…それが益々…

「他の選択肢」を選ぶこともままならなくなる前に「他の選択肢」を増やしその選択も選ぶこともしなければ駄目だなと思う次第なんだけれど、「逃げているだけなのかな」と余計なことを考えてしまうのは、結局「現状に甘えてしまっている」だけなのか「感覚が麻痺してしまっている」だけなのか。

こんがらがっている僕の頭の中。今日も黙々と1人で御仕事。やることがなかったあの時期に比べれば「まだまし」だけれどある意味ではあの時期よりも「ひどい」状態の中で。

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