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コーヒーと考察 Vol.05

アール・ブリュットとコラボレーター

横文字が並ぶタイトルの今回のnote。まとまらない可能性が高いことをまずお伝えしておきます。

まとめようとすると、思っていること考えていることが逃げていきそうなので、とにかく頭に浮かんでいることの書き出しを優先したいと思います。

まずはタイトルに使った「コラボレーター」。どうしてこの言葉を使うに至ったかの経緯をお話ししたいと思います。

<はじめに>

コラボレーターという言葉に辿り着く前に、僕の頭の中では「コラボレーション」という名詞について思い巡らしていました。コラボレーションの動詞はcollaborate、コラボレートです。語源は、com(一緒)とlabore(働く)

コラボレーションと同時に考えていた言葉はイノベーションコーディネーション。そして「〜する人」となるerやorを接尾辞につけた、イノベーターとコーディネーターです。

イノベーションの動詞innovateはラテン語のinnovatus(リニューアルされたもの)が語源で、革新するという意味。イノベーターは革新的なことをする人。

もうひとつ、コーディネーションの動詞coordinateは、co(一緒に)+ordin(並ぶ)+ate(動詞化)。辞書では「調整する」といった意味で出てきますが、語源に忠実に訳せば一緒に並んでいくとなります。となるとcoordinatorは一緒に並走する人のイメージが生まれます。

次にそんな言葉たちが頭に浮かんだきっかけを述べたいと思います。

<きっかけ>

以下の記事を数日前にたまたま見かけて、ちょっぴり悔しいけれど嬉しい気持ちになりました。

なぜ悔しかったかというと、個人的にこのサービスはずっと頭の中にあったからです。

僕は、お絵かきコンテスト、学校の美術の授業、世の中的には評価されないような子どもたちが描く絵や落書きの中にむしろ美しさを感じています。その美しいものが商品のデザインに使われたらと考えてきました。

それが故に先にその考えを実現されたことに、ちょっぴり悔しい感情が。しかし、同時に自分の考えと同じものがこうやってサービスとしてあることにすごく嬉しい気持ちにもなりました。

<エピソード>

上記のリンク先の記事では子どもたちのお絵かきの魅力をデザインとして取り込み、製品化したことがわかります。

僕の場合は、ある体験から別の視点で同じようなサービスを考えてきました。

ある体験とは、ご縁があって特別支援学校の学園祭に行った時のことです。

様々な出し物がある中で、ひときわ印象深かったのが、生徒たちが作った作品群でした。その作品群は大きなダンボールに自由に絵を描いたものだったのですが、これが天才的な絵ばかり。なんてすごい才能なんだろうと思いました。

そしてアール・ブリュットのことを思い出しました。アール・ブリュットとは正規の芸術教育を受けていない方々が生み出す芸術作品のことです。

特別支援学校の生徒たちの作品は、もしかしたら美術の授業の一環で作った作品かもしれませんが、僕の目には美術教育の範疇を超えた、自由で生き生きとしたものに映りました。

その素晴らしい作品群は、その学園祭で日の目を見るだけのようだったので、僕はどうにかあの作品をさらに生かすことができないものか以来ずっと考えています。

特別支援の学校の先生ともつながりができて現状を聞くと、やはり一番の懸念事項は生徒たちの進路についてです。

多くの生徒たちの進路は、生徒たちの障害に応じて様々なようですが、多くは作業所の勤務になるようでした。その話を聞いて、彼らのあの絵の才能が果たして生かされる仕事があるのだろうかと思ったのです。

<アイディア>

特別支援学校の生徒の作品をアール・ブリュットと果たして呼んでいいものかどうかは僕にはわかりません。それでもその作品の生き生きとした素晴らしさを感じたことは事実です。

そもそもアール・ブリュット(art brut)の「brut」はフランス語で「生のまま、自然のまま」という意味です。生きた芸術とすれば、それはまさに僕が感じたものそのものです。

その芸術、才能が埋没してしまうのであれば、それを生かせる方法がないものか。

そして<きっかけ>で書いたサービスに戻ります。

特別支援学校の生徒たちの作品をデザインとして使えないものか、製品化できないものか。特別支援学校の生徒たちはデザイナー、アーティストとして職を得られないものか。

そのためには、コラボレーションが必要不可欠です。企業・美術業界、支援するアーティスト、デザイナー、プロデューサー、その他もろもろの人たちと。

それらをつなぎ一緒に働くところまで描ける人がいなければなりません。Laborまで寄り添える人。だからコラボレーター

そのコラボレーションにさらにイノベーション、コーディネーションが加わればワクワクするような取り組みができると思うのです。

今回の考察は、考察であると共に、自分がいつかチャレンジしてみたいことを含んでいます。

そして、この記事を読んでくださった方が、何かの縁で特別支援の生徒たちの作品を見るきっかけが生まれたならば、それは願ったりです。

<あとがき>

僕はこの世に存在するもの・ひと・ことはすべて尊いものとなるべく捉えたいと考えています。

そしてすべてのひとには何らかの才能が携わっていると思っています。したがって優生主義的なもの優越主義的なものには共感ができません。

おそらくそれは自分という不完全な生きものを前にして、どうやって他者よりも優れているということが言えようものかという考えがあるからです。

自分が得意とすること、他者が得意とすることをうまくコラボレート、コーディネートできるか。その先にイノベーションがあっても素敵です。ルー大柴のような横文字ばかりですみません(笑)。

そんなことをコーヒーを飲みながら考えていました。

↓アール・ブリュットと併せてよく引用されるのが「アウトサイダー・アート」です。個人的には、「アウトサイダー」という言葉に一種の排他性を感じてしまうので、少し違和感があります。

↓以前少しだけ話題にしたヘンリー・ダーガーもアウトサイダー・アートの範疇で述べられることが多いですね。

日曜日。これから先の人生で何ができるのか考えています。チャレンジしてみたいこと、やってみたいことたくさんイメージしています。

外では野鳩が鳴いている。

皆さん、良い1日を!


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