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ロックとは”駄々をこねる”ことである / 連載 : タイライム

突然ですが、僕はDavid Bowieが大好きである。一昨年亡くなった時は本当に悲しかったが、癌と戦いながら死期を悟ったBowieの遺作『★(Blackstar) 』という最後のアルバムは、「死」さえもロックしたものだったと思う。そして、そのリリース直後の69歳でこの世から去った。最後の最後までめちゃくちゃカッコいいロックンローラーだった。

”「死」さえもロックした” なんて、なんとなく使ってしまったから、どういう意味なんだ? と思われる方も多いと思う。私は月刊誌ロッキングオン(ロッキングオンジャパン含む)を中学の時から愛読していて、ロックを表現する時にロッキングオンによく出てくる単語や言い回しを紡ぎ合わせて、自分なりに「 ロックとは感情の初期衝動の発露だ 」と定義していた。ただこんな風に定義しても結局ロックとはなに?とか、感情の初期衝動ってなんだ?と聞かれることが多々あったし、自分でも本当の意味ではよく分かっていなかった。結局、言語化がうまくできないまましばらく言語化するのは諦めていた。

そんな中、ロッキングオンが愛読書だとずっと言っていたからか、ひょんなことから社員の方とご飯を食べる機会に恵まれた。私がいかにロッキングオンを愛読していたか?どれだけロックが好きなのか?ということを一方的に話しただけの会とも言えるけども(笑)、兎にも角にもただただ楽しかった。さすが多くのアーティストをインタビューしてきたこともあり、いろんな話を引き出してもらって、私がひたすらずっと話していた気がする。
その時に、私がした数少ない質問「ロックって結局何なんですか?」その回答は「ロックとは駄々をこねる」ことであると。即答された。
この「駄々をこねる」という表現から思い出す情景は人により様々だと思うが、私は子供がお菓子をもっと食べたくて駄々をこねている情景がパッと浮かんだ。子供からしたら、お腹もいっぱいじゃないしもっと食べられるのに、親が理不尽に「もう虫歯になるからダメ」と一刀両断する。そんな説明されても気持ち的には理解できないし、少し考えたら「歯磨きするから大丈夫」って思うはず。結果として、めちゃくちゃなことを親は言ってるな=理不尽だなって思う。

前述のDavid Bowieも壮大な駄々をこねてきた。有名なエピソードの一つは、東西冷戦時代の真っ只中の西ベルリンで東ベルリンに向かってコンサートを行った。自分の音楽の影響力を理解した上で、東ベルリンの若者、強いては世界に向かってメッセージを届けた。そのときに歌った”Heroes”の歌詞がこれ。

I, I can remember (I remember)
僕は、僕は覚えてるよ
Standing, by the wall (by the wall)
壁の傍に立ちすくみ
And the guns shot above our heads (over our heads)
銃声が頭上を鳴り響いていた
And we kissed, as though nothing could fall (nothing could fall)
そして、僕らはキスをした、何にも邪魔されないよう
And the shame was on the other side
恥ずべきなのは、彼らの方だ
Oh we can beat them, for ever and ever
僕らは打ち勝てる、これからもずっと永遠に
Then we could be Heroes, just for one day
そして僕らは英雄になるだろう、たった一日だけ。

ベルリンの壁を舞台にとても美しいメロディーに乗せて、こんな情緒的な歌詞を東ベルリンに届ける。一緒に駄々をこねてる若者たちは、「もしかしたらこの壁は乗り越えられるかもしれない、そうだ乗り越えよう!」と強く思えたに違いない。結果論かもしれないが、東西冷戦が終わり、数年後にその壁は壊された。

理不尽な世界は簡単にはどうにもならないかもしれないが、そんなのはおかしいと思うから精一杯駄々をこねる。それがロックであると。ロックアーティストのファンは、同じような理不尽な思いを抱えて、そこに駄々をこねている姿に共感する。ロックアーティストは、その声なき声に呼応して、さらに駄々をこねる。

生きていれば誰しもが感じる理不尽なことに対して、黙って飲み込む人もいれば、思いっきり対抗する人もいる。しかし、大多数の人はそのどちらでもないのではなかろうか、きっとモヤモヤとした思いを何となく抱えてたまま生きている。ロックファンの場合、そんな思いを共有して集まれる場所がフェスだったり、ライブだったりする。そんな生きづらさを抱えているのはロックファンだけではない。先日観に行った 欅坂46 のコンサートで熱狂しているファンにも同じような思いを感じた。モヤモヤした思いを安心して共有できる場があるということは、その思いが「自分一人じゃないんだ」と確認できる場でもある。「自分一人じゃないんだ」という気持ちが集まると場には一体感がうまれる。何かをすぐに解決できる訳ではないかもしれない、しかし、その思いを一人で抱え続けることは孤独だ。ロック、強いてはエンターテイメントが最高に素晴らしいのは、そんな一人一人の孤独な思いに光を当てているからだ。

僕は、 faniconというサービスを通して、エンターテイメントの世界でこれからも駄々をこね続けていく場を提供していきたい。

平良真人( @TylerMasato

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