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今の技術で観てみたい、ネバーエンディング・ストーリー


 はーい、テツガク肯定です。

 遠い昔、私が小さい時に。
 『ネバーエンディング・ストーリー』という映画をテレビで観ました。
 子供ながらチープと言いますか、作り物っぽいと言いますか。
 あまりいい印象ではなく、話も全く覚えていませんでした。

 ただ、この白いドラゴンだけは覚えていました。

 ずっと、このファルコンという白いドラゴンを覚えていて。
 私の直感がもう一度観てみよう、となり。
 最近、観ました。

 それで、言えるのは――。
 この映画はあべこべな作品だということです。

 いかにも作り物っぽい映像の映画ですが。
 その中身は、対照的に正真正銘の事実。
 ファンタジーの皮を被った事実。

 幼稚園か小学生の私にはそれが見抜けなかった。
 今にして、ルーク・スカイウォーカーさんの声が聞こえます。
 見抜けず、つまらないと思った昔の私に。

 素晴らしい、その印象の全てが間違っている


 目に見える映像だけではわからないこと。
 それが多々ある、そういう映画でした。

 その中で、3つの要素が印象に残りました。

 1、物事は無意識のうちに起こる
 2、魔法の鏡の門
 3、グモルクさんの教え

 この先はネタバレ全開です。
 苦手な方はお戻りください。







 物事は無意識のうちに起こる


 女王様を救う薬を求めて旅に出たアトレーユさん。
 しかし、多くの場所が空振り、友の馬を失い。
 遂に希望を見つけたが、そこは1万マイル先にある南のお告げ所。

 1万マイル、キロにすると1万と6千キロ。
 1万キロあれば、この国からフランス、イタリア、カナダ、シカゴまで行けるとか。
 それを自分の足で歩くとなると……アトレーユさんがうなだれるのも察します。

 だから忘れなさい

 と言うモーラさん、心なしか嬉しそうにも思えたり。
 それでも、諦めず歩き続けるアトレーユさんですが限界でした。
 そこに白いドラゴンが現れ、なんとかドラゴンに掴まりましたが。
 そこで気を失ったようです。

 それで、目が覚めると……そこは1万マイル先の南のお告げ所でした。
 白いドラゴン、ファルコンさんが運んでくれていました。

 まるで、奇跡のようですが……。
 こういうことは多くあります。

 眠っている間にサンタクロースが来たり。
 ゲームに夢中で忘れていたら、待ち望んでいた映画の新作が発表されたり。
 映画を楽しんでいたら、挫折していた何かが嘘のように進んだり。

 意識していない、無意識のうちに何かが起きている。
 それが意識的に取り組む時よりも、とんでもない力を持っている。
 そういうことは私も多く経験してきました。

 この映画だってそうです。
 特別、この映画を楽しむために。
 日々を過ごしてきた覚えはありませんが。
 結果的に、昔よりも楽しんでいる。

 偶然のように思えますが、偶然なんてなく全ては必然。
 信じ難いですが、私もアトレーユさんやバスチアンさん同様に。
 どこかで、この映画の魅力を知りたいと覚えていたのかもしれません。



 魔法の鏡の門


 南のお告げ所でアトレーユさんを待っていた二つの試練。

 第一の門、スフィンクス像はわかりやすい試練です。
 以心伝心の門とでも言いましょうか。
 通る人におそれがあれば、おそれていたことが起こる。

 なかなか認めたがりませんが、常に人の心は筒抜けです。
 特別な力とかいりません。
 さすがに正確な思考までは読めませんがね。
 心と思考、頭で思い考えることは違うからです。

 自分を騙し欺いても、自分の姿が見える誰かには。
 自分の心がどう感じているのかは、だいたい見抜かれている。

 それは事実だと今は思います。

 そして、第二の試練、魔法の鏡の門。

 自分の真実の姿を見る。
 それは、とてもおそろしいことだとエンギウックさんは言います。

 親切な人間が冷酷だとわかったり
 勇敢な男が実は臆病者とわかったりする

 そういう魔法の鏡があるそうです。
 ですが、ファルコンさんは驚きません。
 アトレーユさんなら大丈夫だと言います。

 そして、結果はファルコンさんの予想通り。
 アトレーユさんは鏡に映し出された、自分の真実の姿に驚きもしませんでした。

 一方で、驚いた人がいます。
 それは、この話を読んでいたバスチアンさん。
 自分を覗くアトレーユさんに驚き、読んでいた本を投げ出しました。

 今の私からすれば、この第二の試練は。
 アトレーユさんの試練ではなくて、この話を読んでいるバスチアンさんの試練。

 そりゃ、その事実を認めて許すのはおそろしいです。
 映画の冒頭でクラスメイトにいじめられていたバスチアンさん。
 だけど、自分も知らない本当の姿が、武器も持たずに独りで旅をする。
 勇敢なアトレーユさんだなんて……おっしこが漏れそうなほどの恐怖です。

 認めるのは恐いだろう?
 許すのは怖ろしいだろう?
 全ての力が暴かれ、それに相応しい結末を知る。
 もし結末を知りたくないのなら、欺瞞を与えよう。

 デイヴィ・ジョーンズ文法。

 欺瞞です、人の欺瞞はかくも邪悪なり。
 されど、人の自信はかくも神聖なり。
 汝、自身を知れ。



 グモルクさんの教え


 そして、この映画で最も揺るがない事実。
 それをグモルクさんが語ります。

 南のお告げ所でファンタージェンの境界線に。
 女王様を助け、世界を救ってくれる人の子がいる。
 そう聞いたアトレーユさんでしたが、グモルクさんから全く別の事実を聞きます。

 ファンタージェンには
 境界線なんぞない

 これは人間の空想の世界なんだ
 あらゆる場所、あらゆる生き物――

 全てのものは
 人間の夢と希望でつくられているんだ

 だからこそ
 果てしなくふくらんでいく

 そう最もなことをグモルクさんが言えば。

 なぜ滅びるの?

 そう最もな疑問をアトレーユさんは返しました。
 それに対して、グモルクさんは。

 それは人間共が
 みんな希望を持つことをすっかり諦め

 夢を描かなくなったからだ
 それで無の勢力が強くなってきた

 虚しさとでも言うか
 絶望と言ってもいいな

 つまりこの世を滅ぼすものだ

 そして、グモルクさんの野望が明かされます。

 希望を失った奴らを
 こちらの思い通りに操りたいからだ

 そして、思いのまま支配して――
 権力を持ちたいからだ

 これをルークさんが聞いたら。
 きっと、こう返すしかありません。

 素晴らしい、その言葉は何も間違っていない

 少なくとも私は頷きました。
 この映画は1984年の映画ですが。
 未来予知とでも言いますか、確実にこの世界にも無が迫っています。

 少なくとも、私はこの世界に対して無関心です。
 ですが、ココとは違うあの世に対して夢関心です。
 我が愛しの世界三大ウサギの一羽がいる。
 ルーニーでルーザーにフーバーな話、その一話目がある。
 あの世の第七区へ、私の関心は傾いている。



 以上、3つの要素に心がひかれましたが。
 もちろん、他にも驚いた要素があります。
 それは、後日何れ。


 冒頭と結末が対照的という演出。
 いじめられていたバスチアンさんが。
 ファルコンさんに乗って、いじめっ子を驚かせる。

 チープな結末だと思う人の気持ちもわかりますが。
 これは、とてもいい結末です。
 決して、因果応報だから、というわけではなくて。


 大好きな母が亡くなり、水泳チームの選抜大会も不参加、好きな乗馬も辞めた。
 映画の冒頭ではバスチアンさんにも無が迫り、無気力でしたが。
 最後には小さな一歩を踏み出している。
 なんでもいいのですが、まあ、一番最もな夢だと思います。

 汝、自身を知り、認め許したからこそ。
 新しい自分で在れる。

 いいか? 僕、もう泣き虫じゃないんだぞ!

 そう自分に宣言できる。遠い昔、1時間と30分前の自分に。

 原作は読んでいませんが、調べたところ原作のバスチアンさんは。
 チーズ色をしたX脚でのろまな太めの少年。一度留年している。
 父は妻を亡くしてから、バスチアンさんに対して無関心である。
 原作の方がバスチアンさんが『はてしない物語』に出逢えたのも頷けます。

 いかにも確かと思える事実。
 目に見えるITらが示す自分と。
 全く別の対照的な自分がいるものです。

 どちらも本当の姿で、偽りの姿。
 だから、どちらを選んでも問題はない。

 ホントのことは嘘みたい。
 嘘は本当のように思える。

 そういう、この映画が今の技術で映像化できたら……。
 より引き込まれるか、それとも外側に関心が傾き。
 肝心な話の内容が印象に残らないか。

 いろいろ想像することはありますが。
 やっぱり、素直に正直に観てみたいものです。

 


 それでは、また次の機会にお会いしましょう。










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