見出し画像

桜散る晩春花見の旅、東京を西から東へ

突然ですが、アニメ「キン肉マン」放映40周年、僕も子供の頃に熱中しました心の聖書です。そんな今年はなんとアニメ「キン肉マン」の続編と、それにならぶキン肉マン展があるらしいですが、仕事で国分寺に寄った時にフィギュアが駅で展示されてました。

東京横断計画(新宿から)

今回は東京を横断しようと、長距離歩くためずっと前に登山用に買った数万円の靴を用意して、気合入れました。まあ出発が午後三時ごろだったため、たいして歩けないだろうが。

マッスルスパーク!!

はい、ゴチャゴチャとっ散らかった話から始まります。東京散歩と東京の歴史の話ですね。
出発は午後三時、西武新宿駅から。ちょっと仕事のレジュメをうちで1時間くらい作っていて、メールで送った後、ちゃんと送れたか電話確認し。コミュ障は電話とか疲れるんです。んでちょっと休んできたため、遅めです。
ここは新大久保駅と西武新宿駅の間、職安通り。しばらくは都営大江戸線に沿って歩く感じです。
新大久保周辺はコリアンタウン(韓国街)ですので、ここでも韓国スーパーが見られます。

歌舞伎町の裏、大久保はもともと沼地広がる窪地であった。明治時代以後に閑静な住宅街と改良されたが、関東大震災や東京大空襲により人口は減少。
戦後GHQをきっかけに売春宿ができる。
1950年に重光武雄(辛格浩)によりロッテの工場ができ在日韓国人労働者が増えたことや、水商売で働く韓国人も増えたことから、日本最大のコリアンタウンとなった。

明治通りに。東新宿駅近く。新宿駅東口方面や花園神社の方です。

すぐにスクウェア・エニックスが。子供の頃、ファミコンでエニックスのドラゴンクエスト、スクウェアのファイナルファンタジーにはまったなあ。
まさか、この2社が合体するなんて、世の中いろんなことがおきるもんだ。

雑多でカオスな新宿は続く…。

よく新宿歴史博物館に行くときに、新宿駅~四谷へは歩いていくのですが、今回はそれよりやや北の道。はじめて通る道だ。
そろそろ四谷の近くかな。都営大江戸線の新宿駅となりの若松河田駅。やっと1駅だが、結局気づけばかなり歩くのだろうなあ。

東京はいろんな生業の人が住んでいたのか、山伏町やら箪笥(タンス)町やら、ユニークな町名がある。桶町やら、大工町やら、呉服町やら鍛冶町や紺屋町…。

ふたたび、突然のマッスルスパーク!!

すいませんでした。マッスルスパーク入れながらの話題転換です。
そうそう、東京は坂にもいろんな名前がついており、有名なんに昌平坂、紀尾井坂、神楽坂、乃木坂に道玄坂に宮益坂。マイナーなんに芋洗坂、かなしい坂にたまらん坂に幽霊坂とか。こういう坂を見つけるのも楽しいもんですね。

袖振り合うも他生の縁、東京を歩いていると何か素敵な縁に巡り合うかも。
何にも巡り合えない僕のことは忘れてください。

あまり話題転換になってなかったですね。
はい、またまた話題転換、キン肉バスター!!
ちなみに、キン肉バスターの使い手だったプロレスラーの冬木弘道が亡くなって、もう3月19日で20周年か…。

突然のキン肉マンネタは、最後のウォーズスマイルでもう封印しますので。
いつもこんな変なノリで雑多に話がとっ散らかり、すいませんでした。

なんやかんやで。神楽坂に着きましたよ。
都営大江戸線の牛込神楽坂駅の近くですね。
この先は飯田橋、そして皇居がそびえたつ東京の中心街。
この周辺で働く人々が憩う花街として神楽坂は大正時代まで「山の手銀座」と言われるほどの繁華街に。
しかしながら、関東大震災以降は新宿にその座を奪われる。

広重の神楽坂と江戸城の牛込門。

長い新宿区からいつの間にか文京区へ

そろそろ皇居周辺あたりでしょうか。神田川かな。
皇居(旧江戸城)を見ていこうと思ったけど、どうやら北のほうすぎたみたいで。

気づけば、後楽園遊園地が見えてきました。僕は遊んだことありませんが、最近観たアニメ「月がきれい」で茜ちゃんと小太郎くんたちが遊んでました。そして重大な決意なシーンがあり、僕の中ではそんな思い出しかありませぬ。

お茶の水の勤務の時は、ラクーアで泊まる夢があったが。ああ、あとゴールデンカムイ展を見に行ったか。以前はすぐ近くで働いていたのにこんな思いでしかないんやな。
後楽園のすぐ隣に東京ドーム。読売ジャイアンツの本拠地ですが、いろんなミュージシャンのメッカでもある。

この日、何かのアーティストのツアーがあるようで、人だかり!
(何かのアーティスト= ONE OK ROCK らしいです。すいません、知りません。)
エグい角度のコースター。
僕なんかは、有名ロックバンドのコンサートより、こんなのがお似合いです。
見ててゾワゾワする…

にぎわっているエリアの脇道を逸れ、壱岐坂に入ると、さっきまでの喧騒が嘘のように静か。
しばらく歩き、本郷三丁目へ。やっぱここも東京のスポットですね。
東京大学です!

赤門内側。赤門は旧加賀前田家の藩邸(大名屋敷)の門だった。
江戸の時代に集中していた旧藩邸は明治以降にいろんな施設に化けている。
「よっしゃー!休講!!休みだひゃっほーい!!
どうする、カラオケでも行くか??」
みたいな青い春の学生生活なのですかね。
いや、60年代とかは、学生が暴れまくり、大学を占拠して授業どころではなくして。
みんなゲバ棒持ってヘルメットかぶり、時に演説、時に警察官と戦う。
安田講堂もそんな学生運動という狂喜で有名です。
学生運動とあさま山荘事件について知りたいなら、山本直樹先生の「レッド」がオススメ。
中央食堂。

東京大学を離れれば、もうすぐに湯島天神に。
ふと見れば、春日通りや文京区春日の名づけのもとになった、江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母である春日局の眠る寺へ。

まもなく、湯島天神に到着。もと江戸幕府の学問所だった湯島聖堂の跡はその近くで、菅原道真公を祭る天満宮。例年、多くの受験生の合格祈願で賑わいます。同じく菅公の聖地である太宰府天満宮に並ぶ。

ここでも大宰府名物であり僕の大好物で全国民に食べてもらいたい「梅が枝餅」が売ってたと思うが。あと、この近くの「鳥つね」さまの親子丼がとても美味で日本最高の親子丼だと思ってます。
泉鏡花の筆塚。
文豪ストレイドッグスの泉鏡花。
梅が枝餅でなく、あげまんじゅう。
まあ、「あげまん」は何だか運が良くなりそうですね。
(あげまん=花柳界の隠語で、出会いや巡りあわせの「間」からきたとか。
例:「今日は間(まん)が良いようやわぁ」)
桜散るこの頃、さすがに散り果てなん梅の花…。

散歩道に戻る。
夕暮れ感が差し込んできて、東京の西の果てに行く頃には漆黒の闇になりそう。やっぱ適度なところで帰るか…。

だし汁の自動販売機。実は代々木の深夜のパチ屋の清掃バイトをしていたとき、買ったことあり。
薄めて飲めば無限に楽しめました。
ただ、こないだどっかのスーパーで故郷の長崎の「あごだし汁」買ったので。
けど、長崎のは甘いのね。江戸時代に江戸へ砂糖を輸送していた長崎は醤油も甘いから、今や関東のしょっぱいものに慣れた僕は、長崎の甘い味付けはちょっと合わなくなった。
けど、僕は今日は帰ったら、あごだし汁でうどんを食べる計画。質素に。

台東区・上野へ

湯島を出るとすぐに上野。動物園や博物館が立ち並ぶ東京最大の名所のひとつですね。
すぐ目の前に広がる不忍池。江戸の市民の行楽地でもあった。

上野は桜、花見の名所でもある。上野寛永寺は将軍の菩提寺でもあり幕府が多くの桜を植樹して、江戸時代から飛鳥山と隅田川に並ぶ三大花見の名所に。
そう、数日前から「東京横断してやる!」と思ってた僕の目的の1つ(いろいろ作っていたが)に、晩春の桜を見て回るというのもあった。
なので、これから桜を結構撮っていきます。

夕暮れが好きなので。東京のビルに差しこんでいく夕暮れの光がきれい。

桜の多くは散り果てて緑葉も増えてきたが、やはり桜は日本の景色を彩らせる。

いろんな人が今春最後の花見を楽しんでいるところでしょうか。
4月のはじめの今や年度の始まり、別れがあり出会いがあり…

歴史奥ゆかしき上野。
悲劇の場所であり、江戸最後の将軍慶喜に見捨てられた(慶喜は寛永寺に引きこもり)残党たちが最後の意地を懸けて新政府軍と戦う、彰義隊が集結し激戦地となる。

手塚治虫先生が先祖を描いた「陽だまりの樹」より。
上野黒門が吹っ飛んでますね。彰義隊の戦いも、新政府軍の大村益次郎が一瞥し、「アームストロング砲で壊滅する」と本郷台からの一斉放射でその通り壊滅。
その残党はさらに北に逃げ、渋沢平九郎(栄一の義理の子)たちは僕の住む町・飯能に転戦、敗れ自刃。滅びゆく道を選んだ人々の気持ちはいかなるものや。
ついでに、黒門町は落語家の桂文楽の別名、趣のあるこの町名も、今や上野1-3という名に。人も町も更新されていく。
明治維新の中心人物、西郷隆盛も西南戦争で逆賊となり、やっと皇居から離れた上野の辺鄙な場所に銅像がつくられた。西郷と犬の「ツン」。しかし、この銅像を見た西郷夫人の糸子さんいわく「うちの人はこんな人ではなかった」「浴衣をつけて散歩もしないし」と驚いたようだ。
西郷さんは写真を撮らなかったので、有名な人なのに、本当の顔が残ってない。
あの松竹デパートも、下の写真にある建物になってしまい、いまや残っていない。

そのまままっすぐに駅前に。アメ横も昔よく遊んだ繁華街。

北の玄関口と言われる上野駅。画像は国鉄時代のもの。常磐線もあり、東北地方ともつながっている。

上野駅を通り過ぎたころは、一気に夕暮れ感が増してきた。
どこでこの旅のエンドを迎えようかな。正直、まだありきたりのものを見ただけで、楽しみとしてはまだしょっぱい。

夜の浅草でも見に行くかな。

上野をしばらく歩いていくと、浅草の手前で有名な合羽橋の道具街へ。

道具街の入り口にある菊屋橋交差点のシンボル、ジャンボコック像(ニイミ洋食器点)。

さすがに夜も遅い。道具街の顧客も朝昼に行くのだから、閉まっているのがほとんどだろう。

合羽屋喜八が湿地帯のこの地域の住民のため私財を投げ出し新堀川の整備をしていたところ、カッパたちが感動し手伝ったため、合羽橋という名がついたとか。
カッパのオブジェも多いが、見て回る余裕はなく。

カッパと言えば、代表的な絵師であり漫画家である小島功先生だが、その絵に似ている。
しかし、調べると萩原楽一さんの絵のようです。
萩原先生のカッパ絵。
小島功先生。「黄桜、どん!」のCMが懐かしい。

食品サンプルや包丁とか見たかったけど、もうほとんど空いてなく。

そろそろ浅草かな。

昔の江戸最大の繁華街・浅草になると、そろそろ美味しいものでも食べたくなる。

しかし、金欠気味でもあるので。てか、高級なものが多かろう。

さあ、雷門です。観光客、こんな時間なのに学生服とかも多いぞ!
っていうか、外国人だらけやな。東京大学も中国人ばかりだったな。

夜の浅草も滅多に行かない…  いや、数十年前にまだいた友達と初詣の記憶があるな。

面白いものが撮れた! 月も雲に隠れた朧月。
まわりの人たちも熱心に撮影していたが、「雲がなければよかったのに!」と言っていた。こだわりがない僕は「朧月もオツなもんだが」と思うのだが。

スカイツリーも青く、

赤く。

夜の浅草寺。

「夜中にうろつく悪い子は、い”ね”が~~!!」 なまはげですね。

またまた突然ですが、仁王様といえば、僕が心から愛する作品「よつばと!」のこのシーンを思い出します。以下、ちょっとチラ見せ。

このあと「うそつきむし」の設定がよつばの中でふくらみ、やがて得意満面にうそつきむしを語りだすよつば。
とーちゃんはその表情を見て、よつばを連れ出していく。ああ、とーちゃん、ほんとかっこいい。
散歩かと思いきや、やがて寺周辺の独特な景色に変わり(閑静で森林が生い茂るあたり)。
不穏な空気を察したよつばの目の前に現れた仁王様。
この「いただかれる~」が僕の中でツボりました。
このあと、とーちゃんはただ「うそはつくな」とよつばと約束します。
その後は普通に、よつばの「よるになるとめーひかる?」に「ひかるひかる」と乗ってあげる。
で、まったく別の後の話で、ちょっと怖いおじさんを、よつばはちゃんと「におうさん」と覚えている。よつばの話がささいなところでちゃんとつながっている。「よつばと!」名作です。

なに、この赤く輝く五重塔…。やっぱお寺は神秘的魅力があるところなのだな。

浅草の町から、スカイツリーを目指します。
昔は芝居小屋が立ち並び、今の漫画やアニメと同じく、歌舞伎などでさまざまなキャラが話題になったことでしょう。
その歌舞伎のキャラを今でも浅草の町に出現させる、町の心意気。

隅田川周辺(隅田川を越えると墨田区です)

浅草からすぐ、隅田川です。

東武スカイツリーラインの線路橋。この先に押上駅、いや手前に業平橋駅。
てか、業平橋駅は「とうきょうスカイツリー」駅名に変わったのね。

春のうららの隅田川。

業平橋は、在原業平が亡くなった業平塚があった「業平天神社」につけられた橋の名だという。業平天神社も今はなくなり、「吾妻橋3ー6」に。

さて、良きスカイツリーや隅田川の夜景が見れたのを収穫に、旅も終わり、錦糸町駅から帰ることにします。

錦糸町から亀戸ぬけて墨田区を横断し、新小岩(葛飾区)と小岩(江戸川区)超えると千葉になるけど、たぶん9時くらいになりそう。

ごちそうは、錦糸町のスーパー「LIFE」で「水耕せり」を手に入れたため、サラダというかツナマヨで和えることに。酒のつまみに、うどん(豚肉と春菊)でした。

この記事が参加している募集

#旅のフォトアルバム

38,986件

#桜前線レポート

3,642件

#この街がすき

43,763件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?