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三島由紀夫『豊饒の海』所感メモ【ネタバレ有】

取り急ぎ。三島由紀夫『豊饒の海』を読んだ際に感じた疑問点や所感をまとめておきたい。詳細で丁寧な説明は今後、記事としてまとめるつもりである。

最終巻のネタバレもある。未読の方はご注意を!

1.『春の雪』編

Q1:『春の雪』の時代設定は、明治から大正への変わり目である。この点は夏目漱石『こころ』の時代設定と重なっている。『春の雪』を『こころ』の陰画として読むことは可能だろうか?

Q2:松枝清顕と本多繁邦の生年は、おおよそ1894年ごろだと推測される。この年は日清戦争の勃発した年である。この設定にどのような意義があるのだろうか?

綾倉家について。綾倉家は難波家に源を発しており、蹴鞠の名家として知られている。その一人娘である聡子の身の上が鞠そのものとして喩えられるのは非常に示唆的である。

Q3:『春の雪』の終盤、聡子が月修寺へと出向き、清顕は再び学習院高等科に顔を出し始めた場面にて。清顕は「お化け」と呼ばれる学生と出会う。顔が醜い学生として描写されていたが、それ以外の部分ではよく似通っているように描かれていた。「お化け」は清顕の偽物だろうか?(→この点については『天人五衰』に登場する野菜屑を落とす老人とも比較しておきたい。)

Q4:クリッサダ殿下の妹である月光姫は『春の雪』中盤にて亡くなってしまう。その魂は誰に転生したものと考えるべきか? あるいは転生していないものと考えるべきか?

Q5:「得利寺附近の戦死者の弔祭」と題されるセピアいろの写真について。『春の雪』では2回、『暁の寺』で1回、明確に引き合いに出される場面があることを確認している。だが、それ以外にも、この写真の構図が暗に再利用されている場面はないか?

松枝家の庭園の滝口にてたおれていた黒い犬の亡骸について(pp.35-37)。私の記憶が正しければ、『金閣寺』でも黒い犬が象徴的に描写されていたはずである。両者で比較してみる必要があるだろう。

宮中の新年賀会について。妃殿下の衣裳など、白黒のコントラストが強調されている(p.11)。一方で、終盤の聡子も剃髪をして、法衣を着ることになり、こちらも白黒のコントラストが明確となっている。

遊戯の描写も気になる。蹴鞠、かるた、百人一首、すごろく、麻雀、キャナスタ。色んな遊戯が描写されいている点も見逃せない。

学習院高等科に馴染めないパッタナディド殿下、クリッサダ殿下について。当時の日本のアジア人差別を描写しているようにも思う。エメラルドの指環の盗難事件の顛末についてもそうである。

この記述は何か原爆の風景とも似通っているように思う。以下、本多繁邦の台詞を引用する。

 そこは白昼の広場で、意志は一人で立っている。彼は自分一人の力で立っているかのように装っているし、また自分自身そんな風に錯覚している。日はふりそそぎ、木も草もなく、その巨大な広場に、彼が持っているのは彼自身の影だけだ。
 そのとき雲一つない空のどこかからとどろくような声がする。
『偶然は死んだ。偶然というものはないのだ。意志よ、これからお前は永久に自己弁護を失うだろう』
 その声をきくと同時に、意志の体がすたれはじめ融けはじめる。肉が腐れて落ち、みるみる骨が露わになり、透明な漿液しょうえきが流れ出して、その骨さえ柔らかく融けはじめる。

『春の雪』十三 p.129

『春の雪』を読んでいて驚愕したのは、清顕のとある心中文である。まさかこの台詞を清顕が言う(心中で述べる)とは思っていなかったからだ。勲であればともかく。

『お上をお裏切り申上げたのだ。死なねばならぬ』
 清顕は、漠とした、けだかい香の立ちこめる中に倒れてゆくような思いで、快さとも戦慄ともつかぬものに身を貫かれながら、そう考えた。

『春の雪』五十 p.436

2.『奔馬』編

Q1:『奔馬』は右翼青年の話である。この点からどうしても左翼運動の方を眺めたくなってしまう。たとえば、三島由紀夫は小林多喜二をどのように見ていたのだろうか?

この発想は本多繁邦が手紙で述べていた歴史観と似通ったものにはなるが、ぜひ問いかけてみたい質問である。以下に引用文を記す。

昨日の純粋さと今日の純粋さは、いかに似通っていてもその歴史的諸条件を異にすることを知るべきであり、むしろ純粋さの類縁を求めるならば、歴史的条件を同じくする現代の『反対の思想』に求めるべきであり、これこそ特殊的小部分にすぎぬ『現代の私』のとるべき謙虚な態度であって、そこには歴史の問題が捨象されて、単に、『純粋性』という、人間性の超歴史的契機が問題にされていると考えた方がいい。

『奔馬』十 p.137

大阪の赤煉瓦れんがの裁判所の高塔の風景描写について(pp.24-25)。

雨の日とはいいながら、絶頂の窓々から落ちる光りは、このおおきな塔の内部空間に、不機嫌な夜明けほどの明るみは与えていた。……[中略]……この空間の中央に、見えない巨大な彫像が立っていなければならないという気がする。瞋恚しんにを顔にあらわした見えない巨人の像が。

『奔馬』三 pp.24-25

完全に個人的な印象論となるが、私はこの描写を見て「太陽の塔」を想像してしまった。(もちろん『奔馬』執筆時に三島が「太陽の塔」やその構想を見ていたとは思わない。)大阪万博当時の「太陽の塔」は、大きな会場を突き抜けるようにそびえ立っていたはずである。ここに書かれている、想像された「巨人の像」も同じようなものではないだろうか。

Q2:飯沼勲が蔵原を殺害する動機について。動機自体はかなり抽象的な、内面的なものであろうことに注意したい。特に表面的な動機についてはかなり否定されているように思われる。蔵原が伊勢神宮で玉串を尻に敷いてしまったことは、決して直接的な動機にはならなかった。

 これ以上の瀆神とくしんはなかった。津村の怒りはもっともだった。たとえ単なる失錯にもせよ、参拝前夜にたらふく獣肉を喰べ、しかも神前の失態の罪を謝するでもなく、新たな玉串を与えられたまま、紛れもない神前で、人々の目の前で、堂々と行われた瀆神を、そのまま糊塗ことしてしまった罪はさらに大きかった。……しかし、殺すほどのことではない、と勲は咄嗟とっさに思った。

『奔馬』三十八 p.481

『奔馬』で印象的なのは、経済論が語られることだろうか。蔵原が参加しているパーティで「リフレーション」の話題が出てくる。当時は昭和恐慌に加え、昭和三陸津波(1933)や大凶作(1934)もあり、農家は大変困窮していた。

松枝邸が売り払われたものの、買い取った会社が倒産したことで、松枝侯爵は売却金額の一部しか手に入れられなかったエピソードも印象深い。(ちなみに、死後になってやっと全額が支払われた。)

3.『暁の寺』編

タイトル自体が太宰治『斜陽』と対になっているようにも映る。繰り返される蛇の出現もどこか『斜陽』に似たものを感じる。もちろん、これは個人的な直感でしかない。

Q1:『暁の寺』において、富士山は何を象徴しているのだろうか? そして「暁の寺」自体が何を象徴しているのか?

 富士は黎明れいめいの紅に染まっていた。その薔薇輝石ばらきせき色にかがやく山頂は、まだ夢中の幻を見ているかのように、寝起きの彼のひとみに宿った。それは端正な伽藍がらんの屋根、日本の暁の寺のすがただった。

『暁の寺』二十五 p.197 引用社太字

『暁の寺』第一部、学徒出陣を見送る場面において、本多繁邦はセピア色の写真を連想する。(十二、p.131)

4.『天人五衰』編

Q1:ここでも清顕の偽物ように思われる老人が登場する(二十四、pp.231-232)。また勲の偽物かもしれない還暦あたりの人物も登場する(二十六、p.275)。果たして彼らは本当に清顕や勲の偽物なのだろうか? これは解釈の問題なので、判断は皆様に委ねたい。

最後の場面において、聡子は御附弟に庭を案内させる。この御附弟は「若い御附弟」と記されている。このことから、御附弟こそが本当の転生者なのではないか、という解釈もあるらしい。(私には思いつかなかったが。)


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