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📖丸谷才一『輝く日の宮』を読む

丸谷才一『輝く日の宮』が面白かった。京極夏彦の文庫本よりも二回り程度小さい長編小説であり、ボリュームはそこそこある。が、思いのほかスラスラと読めてしまった。主人公の恋愛譚が主な筋となるのだが、それ以外にも著者の視点が反映された文芸評論的な作品論も綴られている。いわゆる「一粒で二度おいしい」というヤツである。そのおかげか、飽きずに読み進められた。結果、スラスラと読めたのだろう。

『輝く日の宮』の概要

物語の主たる部分は、国文学者・杉安佐子という女性文学者の恋愛譚となろうか。が、小説自体は彼女が文学研究者として持っていた疑問――『源氏物語』「桐壷」と「帚木」の間には、「輝く日の宮」という巻があったのではないか?――を軸に展開していく。ここに著者の文学に対する鋭い視点が組み込まれている。小説という体をとってはいるものの、文芸評論の断片として捉えると、大変興味深い。

面白い細部を少々

『源氏物語』だけでなく、上田秋成『雨月物語』や松尾芭蕉の俳句、泉鏡花の作品群、果ては井上ひさし『父と暮せば』にも話が及んでいる。本作では、こうした細部が光っている。

井上ひさしさんの『父と暮せば』といふ広島原爆を扱つた芝居は、よく似た設定になつてゐて、父の幽霊が押し入れから現れて、娘の恋愛に助言するといふ筋ですね。....…(中略)……それはともかく、この「父の幽霊が娘をコーチする」という説話の型は、現代人と幽霊の関係を、じつにすつきりと示してゐるような気がします。
――丸谷才一『輝く日の宮』講談社文庫 p.213

小説中で行われたパネル・ディスカッションから引用した。『父と暮せば』に登場する幽霊は、決して菅原道真や崇徳院といった怨霊ではない。また、個人的な因縁を抱えているから幽霊となったわけでもない。彼は原爆の犠牲者なのであって、小説中では「現代の科学技術の犠牲者」であると説明されている。明らかに前近代から受け継がれてきた幽霊像とは異なっている。

上記に示された「幽霊像の対比」は腹に落ちた。小説として軽快に読み進めつつも、こうした視点と出会えるのは本作の魅力である。

文体について

丸谷才一がジェイムズ・ジョイスに私淑していたというのは有名な話であろう。本作でもジョイスの影響が見受けられる。作品内で文体が変化していくのだ。とはいえ本家・『ユリシーズ』ほどの強烈な変化ではない。『源氏物語』のような文章を延々と読まされることはないので、ご安心を。ただ、少なくとも鏡花の文体についていける程度の慣れは必要になるかもしれないが。

カッコつけるための余談

ミステリ小説の推理合戦が、一種の”場内乱闘”だとすれば、古典の謎を巡る論争というのは”場外乱闘”ということになろうか。レフェリーたるテクストは沈黙を貫きながら、その傍で文学者やらが”場外乱闘”を繰り広げている。少なくとも私にとってはそれが楽しくて仕方がない。我々が古典に惹きつけられるのは、多分そのせいなのだろう。

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