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エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』読書メモ②
▼前回はこちらからどうぞ▼
「第一章 自由――心理学的問題か?」を読んでいく
今回は「第一章 自由――心理学的問題か?」から気になった箇所を読んでいきたいと思います。
第一章全体を読んで気付くのは「中産階級」という言葉がキーワードになりそうだ!、ということです。
次に気になるのは「孤独」という単語でしょうか。後々、自由と結びついて現れてくる単語です。(そして現代人が一番苦しんでいる部分かもしれません。)
「中産階級」について
中産階級が、古い政治的宗教的支配者の権力をしだいに破壊していくにつれて、また人間が自然を征服することに成功するにつれて、そして何百万というひとびとが経済的に独立していくにつれて、人間は世界も人間も本質的に合理的な存在とますます信ずるようになった。
この文の主語は「人間」でもなければ「人類」でもありません。
あくまで「中産階級」というのがミソらしいです。
また、労働者階級と資本家階級といった二層ではないところもポイントになりそうです。(マルクスっぽくはないですね。)
フロムの云う「中産階級」と日本人的な「中間層」とを混同すると怒られそうですが、少し似ている気がします。
嫌らしい言い方ですが、どちらも「下層階級ではない」というプライドを持つ層だと考えているからです。
もしこのプライドが壊れてしまったとき、彼ら・彼女らはどうなってしまうのでしょうか?
「孤独」・「孤独を避けようとする欲求」について
第一章の話題でもう一つ気になるのは「孤独」です。
生理的に条件づけられた要求だけが、人間性の強制的な部分ではない。ほかにも同じように強制的な部分があり、しかもそれは肉体的過程にではなく、生活様式と習慣の本質そのものにもとづいている。すなわち、外界との関係を結ぼうとする要求、孤独を避けようとする要求がそれである。
「孤独を避けようとする要求」。たとえば承認欲求と言えばイメージしやすいでしょうか。
SNS時代を生きる私たちにとっては共感しやすい話だと思います。
もしかしたら性欲・食欲・睡眠欲よりも上に来る欲求かもしれません。
SNSでリア充アピールをしていないと、グループから追い出されるのではないか。そんな不安を感じている方は多いかと思います。
そう考えるとこの本が1941年に出版されたことに驚きを感じますね。
ともあれ自由にされた個人、細分化された人間には、孤独はつきものでしょう。本書のタイトルにある「自由」の裏には「孤独」がつきまとってくるのかもしれませんね。
後々、その点が明らかになってくると思います。
ぜひお楽しみに。
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