エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』読書メモ①
最初に以下の点を断っておきます。
以上を踏まえてご覧くだされば、と思います。
エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』東京創元社(第116版)より。
全体的なメモ・概略
はじめにエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』の全体的な感想について語りたいと思います。具体的には、以下の4点について述べていきたいです。
① 本書の出版年について
本書の刊行年は1941年だそうです。つまり出版されたのは第二次世界大戦中ということになります。
特にエーリッヒ・フロム自身は1934年にドイツからスイスへと亡命しており、当時目撃したナチスの権力掌握の過程を、記憶の風化しないうちにダイレクトに分析してみせたということになります。
この点は、たとえばハンナ・アーレント『全体主義の起源』(1951年)やカミュ『ペスト』(1947年)といった作品とは異なります。
あくまでもこれらの作品は戦後出版されました。まだ記憶に新しいとはいえ、ナチズムの時代を過去として振り返らねばならなかったはずです。
『自由からの逃走』はあくまで第二次世界大戦が現在進行系である中で出版された。この点が異質かもしれません。
② マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と併読した方が良さそう?
『自由からの逃走』の序文にはこんな文章がありました。
中世から近代に変遷していく際に、西洋史で避けては通れないのがルネサンスと宗教改革でした。
特に第三章「宗教改革時代の自由」では「1. 中世的背景とルネッサンス」「2.宗教改革の時代」という2つのセクションに分割され、それぞれ大きく紙面を割いています。
前半の「中世的背景とルネッサンス」で大事なのは”労働形態”と”富に関する考え方”、この2つが変化したことです。
特に誰が労働のしわ寄せを喰らって、誰が(富と)自由を勝ち得たのか。あるいは抑圧されてきたのか? この点が重要になります。
一方、後半の「宗教改革の時代」では、宗教改革の結果、個人はどのような自由を獲得したのか?、をルターやカルヴァン自身のテクストを絡めつつ議論しています。
本書もかなり解りやすく書かれているとは思いますが、やはりマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んだほうがより理解が深まるのかもしれませんね。
③ フロイトの精神分析
「第五章 逃避のメカニズム」では、説明にフロイトの精神分析が多用されますが……。自分には古臭く感じてしまいます。特にサディズムとマゾヒズムを用いた論考にはあまり説得力を感じませんでした。
ハンナ・アーレントがアイヒマン裁判において発見した「凡庸な悪」が、マルキ・ド・サドに根差すサディズムとは相容れないように感じるからでしょうか。
執筆年代が1941年以前であったために、援用や対立に用いられる理論が限られていたせいかもしれませんが。
④ 存在感のないマルクスについて
これも執筆時期から致し方ないのでしょうが、マルクスの思想および『資本論』に対して、熱い肯定も、血眼になった批判も行われていない点も気になります。
接点はありそうなのですが、著者がうまく躱している感じがします。
(ソ連が官僚独裁国家に堕してしまったことはもちろん認めています。引用はしませんが、本書 p.300をご参照ください。)
こんなことを述べている位だから、あまり気にしていないのかも? 心の中まではわからないものなので、これ以上は何も言えませんが。
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