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ジョセフ・コンラッド『闇の奥』と未知なる存在への畏怖

01.簡単なあらすじ

 アフリカに派遣された船乗りであるマーロウは、貿易会社で象牙ぞうげを取り扱うクルツを探しに、大密林の奥まで分け入っていく。毀誉褒貶きよほうへん飛び交うクルツの人物像は密林のように謎めいていた。現地の部族に襲われながらも、蒸気船で川を移動しながら、奥へ奥へと進んでいくマーロウ。最終的にはクルツと会うことができたのだが……。

02.ちょっとした感想

 大自然の前では、理性や信仰の灯は心許こころもとないものであり、人間は全て平等なのだと安堵した。安堵したというのはおかしいかもしれないが、不思議なもので、確かに安心したのだ。本来は不気味に感じるべきで、理性や信仰のおよばない領域があることに畏怖いふすべき小説なのかもしれない。

 本作は19世紀末に書かれた小説である。人類にとって(あるいはヨーロッパ人にとって)、地球上にはまだ「未踏の地」というものがあった時代である。しかし、20世紀の半ばにはそのような概念は消失してしまった。正確には、現在でも「未踏の地」が余っているのかもしれないが、少なくとも人類は地球上の空間的な未知に対する興味を失ってしまった。さらに畏怖も失ってしまったように思う。

03.時間的な未知に対峙する現代人

 その代わり、何に興味を持つようになったのか? もしくは何を恐れるようになったのか? 時間的な未知、すなわち将来に対して興味を持つようになったのではないか。そして、恐れるようになったのではないか。

 一寸先は闇、ということわざがある。2020年から先の読めない時代になって、2022年はさらに予測のつかない状況になってしまった。2023年もわからない状況が続くことだろう。私たちは大密林の中を進むように日常を生きている。『闇の奥』を読みながらそんなことを考えていた。

 世界情勢は緊迫したものになっている。一方で、AI関連のニュースを見ていると一日単位で成果が報告されるような状況であるらしい。去年もイラスト生成AIやChatGPTといったツールが登場したことで、技術の進展に期待を膨らませている方も多いだろう。

 しかし、絵や文章が生成される具体的な過程を人間が知ることはできない。仕組みはわかっても作業内容自体はブラックボックスだ。そういう意味で、そこにも闇が広がっている。

 このブラックボックスの正体を私たちが知る機会は永遠にない。つまり、理解しなければならないという義務もない。若いころは何でも理解しなければならないと思い込んでいた。知的全能性の束縛から自由になったとき、肩の荷が降りた気がした。全てのものに光を当てる必要はないし、闇と共存しても構わない。そのことに安堵を覚えた。

 人類は地表から闇をなくしたのと同時に、未来や他者という別の新たな闇を発見してしまったのかもしれない。これが21世紀なのだろうと思う。そういう意味で、今世紀に入っても、この小説はまだ生きている作品なのだろうとも感じる。

【終】

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