三島由紀夫『春の雪』の時代設定【ネタバレ有】
※以下の記事で書いた内容を短縮版としてまとめたものです。
※三島由紀夫『春の雪』のネタバレがあります。
『春の雪』を読み直してみると意外な発見があった。それは本作の時代設定である。本作の舞台となる時代は、なんと1912年(明治45年)ごろなのだ。1912年という設定の何が意外なのか? 本作を引用しながら、その点を確かめてみたい。
『春の雪』の時代設定:1912年の何が意外?
1912年(明治45年)という年に何が起きたのか? 下記の文章をご覧いただこう。
お察しの方もいらっしゃったかもしれない。1912年(明治45年)といえば、明治天皇が崩御された年である。『春の雪』という長編の中であまり言及されないため、我々はそのことを意識しない。だが、確かに本作の舞台設定は1912年、明治天皇がお隠れになった年なのだ。
では、1912年=明治天皇崩御の年だとして、その図式の何が意外なのか?
「明治の精神に殉じる」といえば……。
「明治の精神に殉じる」という名目で自殺したのが「先生」であった。「先生」というのは、夏目漱石『こころ』に登場する、あの「先生」である。そうなのだ。三島由紀夫『春の雪』の時代設定は、夏目漱石『こころ』の設定と重なるのだ。
その点に思い至ると、『春の雪』を異なった視点で眺められるように思う。
まず、主人公の松枝清顕が、かなりアナーキーな人物として見えてくる。彼は、宮家との婚約者であった綾倉聡子を寝取った(形となった)上に、妊娠させてしまったのだ。宮家との婚約の件は後出し気味に伝えられたとはいえ。
ただ、タイミングがあまりにも悪すぎた。明治天皇崩御の記憶も薄れていない頃だ。そんな時期に上記の事件を起こしてしまった。事件そのものが大問題となったのは間違いない。だが、事件のインパクトは、我々の想像以上にあったのだ。当時の人々から見れば、清顕がひどくアナーキーな人物として映っていただろう。
また、この小説の筋立て自体もアナーキーに見えてくる。同時代に『こころ』の「先生」や「私」がいたことを思えば、尚更そう感じるだろう。
そのような比較を考えてみると面白い。
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