朝も、昼も、夜も。
何事にも関心が薄くなっていると気がついたときには、もう取り戻せないほど、自分のなかの受容可能な領域(私はそれを感受性と呼びたくない)がだめになってしまっていて、ある種の特殊な環境におかれた生き物のように、明るいか、暗いか、しか刺激として受け止められない。
もはや朝か、昼か、夜か、一日の移り変わりの明暗くらいにしか関心がなくなってしまった。それでも時間という絶対的なものに縛り付けられている心地よさが残っているのが、私と空間、そこにあるものごとをつないでいるようで慰めになっている