ハードワークな人だと思っていた

 人と一緒に住むことが心地よいと思う日が来るとは思っていなかった。かといって、心の底からひとりでいることが好きだったかというと、そうではなかったのだけど。人といると居心地が悪いのにひとりでいられないのは、自分で自分自身を抱き留められていないからだ。でも、自分で自分自身を抱き留めるなんていうのは幻想で、きっと誰もそんなことはできない。だから人は、あらゆる想像力をつかって自分の輪郭を作る。そんな方法でしか、人はひとりでいられないし、誰かに触れることはできない。記憶にある限り、いろんなものを恨んで生きてきた。復讐することが生きる意味だったし、それはつまり、ひとりで、ひとりぼっちで“素晴らしい私“でいるのを、誰かに見てもらうことだった。
 「家庭のことをやって、人を支えるのが好きになって意外だった。あなたはハードワークな人だと思っていた」
 そう言われて、私も改めて驚いた。できることなら、ハードワークな人間でいたかった。そうやって他者を受け入れて、受け入れられて、社会とうまくやっていきたかった。けれどそれは安心とは遠いところにあっただろう。

 まいにち日記を書いているけれど、それはただ起きたことの羅列で、メモのようなものだ。誰に読まれることもないものだから、書いた本人がわかればいい言葉で書いてある。よそ行きの言葉でなければ、文章にならない。誰かに触れる(かもしれない)という緊張感が恋しくて、時々ここに思ったことを書こうと思う。

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