ショート・トリップ

1990年
宇宙探査機ボイジャー1号が初めて太陽系を60枚の連続写真として収めてから三ヶ月後、ノースカロライナでキャンピングカーが大型車と衝突し、無線ラジオ、インスタントカメラ、それからクーラーボックスに入った氷と一緒にいくつかのグレープフルーツが駄目になった。

1995年
五人兄弟の末っ子が息をひきとるとき、鮮やかな紅葉がいっせいにさざめいた。彼はかつて、アリゾナの砂漠を走る列車の中で欠けた歯を飲み込んだことがあり、それを生涯にわたって思い出した。

1997年
人間にチェスで勝利したコンピューターは、新種のシーラカンスの名付け親の顔を知らない。

1999年
棄てられた象の睫毛の上にたちまち摩天楼が立ち上がり、都市が目まぐるしい星の運行のようにうごめいた。ファストフード店の看板は明滅し、隙間なく道路に敷き詰められた車のミラーは折れ、人々は紙のように薄くひらひらとはためいた。象はじっと動きを止めて、何も見てはいなかったが、瞬きとともにそれらは全て消えた。

2003年
大停電の夜、初老の文具店オーナーは市営プールで巨体の女性が泳いでいるのを見かけた。こぼれ落ちそうなほど肥大した体は、水をおおきく波立たせ、人気の少なくなったプールを支配していた。気がつくともう一人、はちきれそうなほど太った女性が平泳ぎを初めていた。オーナーは、プールサイドに腰掛けて二人の肥満を遠目に見ている。そのとき、さらに巨大な女が入り口から現れ、プールへと飛び込んだ。驚く間もなく、電気の供給が停止し、あたりは闇に包まれた。

2007年
猛暑のモスクワで、蜘蛛がでたらめに編む巣が、噴水が放つ光に透けている。誰からも壊されず、巣は狂ったまま完成する。

2012年
「なにか歌ってよ」
「なにがいい?」
「なんでも」
「あなたの悲しみに価値はない」
「それ以外のやつ」

2019年
嵐が過ぎて、ようやく晴れ間がのぞいた午後、もう月が昇っていた。はじめて探査機が月の裏側に到達した事知らない人達が、スクランブル交差点を渡りきった。

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