たそがれどきの帰路

 日々眠りは訪れる。それには意志を伴う。今日も、眠るために眠るためのことをする。いつから祈らなくなったのだろうとふと考えても、そもそも眠るための祈りなどした試しがないのかもしれないという気になってくる。もしかすると忘却の中に、その時はあったのかもしれないのだけど。
 日が暮れるのが早くなって、帰るとき車を運転するのにヘッドライトをつけるようになった。時たま、晴れ渡っていて、時間や空気がちょうどよい明るさをもたらす時、何もかもが日暮れの色を持って薄ぼんやりと浮かび上がるときがある。決して暗いわけではなく、かといって明々と照らされるでもない街や車たちや空を見ることが、ささやかな終わりの楽しみをもたらしてくれる。
 そして眠るまでのあいだ、私は今日という日を全くと言っていいほど記憶せず、ただ一人でいられない時間を、作るのを途中でやめてしまった笹舟を流すようにやり過ごすことに慣れきってしまっているのだと、祈りから程遠いところで思う。

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